「盲目的な賛同は、相手に対する最大の侮辱」――これを聞いてドキッとしたあなた、鋭いです。
確かに、「同意」とか「応援」というと無条件に良いことのように感じます。が、これが盲目的、つまり自分の頭で一切考えずに思考停止で相手に合わせているだけだとしたらどうでしょう?
たとえば友人が料理を作ってくれたとします。その料理が正直言ってとても微妙だった場合、「美味しいよ!最高!」とだけ言ってしまうと、相手は次も同じ微妙な料理を作るかもしれません。むしろ、ここは勇気を出して「少し塩が足りない気がするけど、素材の味はいいね」とか、具体的なフィードバックをしたほうが友人の料理スキルは間違いなく上がります。
これと同じようなことが、アイデアや他人の意見に対しても起きるわけです。僕たちは誰しも、自分の意見が承認されるとうれしく感じます。ですが、それが根拠や批判的な吟味を伴わず、「あなたが言うなら間違いない!」という盲目的な同調だけだとしたら、相手の可能性をむしろ潰してしまいます。
さらに、こうした盲目的な賛同が積み重なると「エコーチャンバー」、つまり同じ意見だけが増幅される閉鎖的な空間が生まれます。そうなると、相手の理性や判断力を尊重するどころか、むしろ奪い取ってしまう結果になるのです。
哲学者カントが言うように、人は常に「目的」として扱われるべきです。つまり、他者は自分と同じように考え、感じ、学ぶ存在だと認めることが必要ということなんですよね。盲目的な賛同というのは、それをせずに、相手を「単なる承認欲求を満たす手段」にしてしまいます。これは本当に恐ろしい。でも一番恐ろしいのはそれを本人が気づかないことなんですよね。思考停止しているから。
社会学者ハンナ・アーレントも指摘するように、社会が道を誤るのは、普通の人々が思考停止に陥ってしまったときだといいます。盲目的な賛同が広がると、個人の小さな無責任が積み重なり、気づけば社会全体が暴走することだってあります。そうなったら、誰も幸せになれません。
結局、真の敬意とは、相手の意見を真剣に検討し、批判し、そして認めることです。
「賛同するなら根拠を示し、時には異を唱える勇気を持つ」。
そうやって相手と対話を重ねることで、お互いが成長できる関係が築けるんだと思います。
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