人間を動かしたい場合、正論を振りかざしてもその目的は達成されないと気づくべき

日記
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芝居の稽古で演出の話をしたり、演技の話をしていると相手との共通の言語やコンテクストがないと通じづらいと感じることが多々あります。「ここはドラゴンボールのフリーザ様みたいな!」って言っても「フリーザってあの緑色の肌の人ですか?」って人にはそもそも伝わらないのです (実際言われたことがあるし、ヤムチャとゴハンの区別がつかないことも判明)。

こういう、「芝居」とかの場合は作り手や演出のイメージに近づくために調べればいいだけなんですが、通常の意見を主張し合うような話し合いだとこうは行きません。

あなたが見ている白は、本当に「白い」のか?

話し合いをしているとどうにも話が噛み合わなかったり、いつの間にか論点がズレていたり話が遠回りしていたってことありますよね。もちろん相手にもよるんですけど、自分の話し方やものの見方ってかなり重要で、ただまっすぐに自分の意思を貫き通すだけではなく、自分を見ている相手を見るってのはとっても大事です。

日本でいうディベートは他の国と比べ相手を受け入れようとせず論破しようとすることに固執してしまい、あまり建設的に話が進まない傾向があるそうです。そして、それは勝ち負けで物事を考えているからだと言われます。いちばん大事なのは意見を「通すこと」よりも「決めること」なのに。

話している中で一般的に感じる「常識」や「普通」に差異が生まれると、そこを論点にしたがる人種が一定数いるけど、言ったほうが悪いのか突っ込むほうが悪いのか、否定からしか入れないその議論の仕方こそすでに本質からズレていて、お互い「自分の普通」を作って相手の普通を受け入れようとしないでいる時点で、もはや「一般論」の概念からズレているのではないだろうか?

例えば、ラーメンを待つ3分が短いと感じる人もいれば長いと感じる人もいる。3分待つことが短いのか長いのかを定義づけることにあまり意味はないのです。
エアコンの温度設定25℃が暑いと感じる人もいれば寒いと感じる人もいるから。

「普通」ってなんなのさ

ネットやSNSの普及により溢れる情報を自分の好みで取捨選択できるようになり、一つの真実から自分の都合のいい「事実」がいくつも生まれる世の中。
どれも嘘ではないから質が悪い。
皆自分の「事実」を振りかざして論を進めていくことに危機感を持たなくてはとよく感じていて、若い人はとか言うつもりはサラサラないんだけど、物心ついたときから新聞やテレビのニュースよりもネットから最新の情報を得てきた (信頼してきた)層は特に「普通」という言葉に敏感だと感じる。

一般論を無意味に振りかざす人もあまり良くは思わないけど、「普通の概念」が作られていくということは社会を維持するためにはある程度必要なんだと思う。数字のパワー=声の大きさ (発言力)が正解になってしまうのは非常に危ないことで、正しさよりも単に自分に都合の良い方を支持しようとするから。

一つの物事でも見る側面からあらゆる捉え方ができて、下から見れば丸に見える物体も横から見れば四角に見えたりもする。見るものの立場や考え方でそれはいかようにも変わり、しかもそれはどれもが間違いのない事実である。

自分だけはソース (情報元)を確認しているから大丈夫、自分こそは情報強者だと信じていたって危ない。むしろこういう人が一番危ういと思う。根本の情報の捉え方を間違えてると結局「普通」の見え方が自分にとって都合のいいものになるから。
数字だけを頼りにしていると「世界一美味しいハンバーガーは一番売れているマクドナルドだ」という暴論が成り立ってしまうのと同じで。

なんのためにやっているのか

結局自分の立ち位置なんて相対的な見え方でいくらでも変わって見えるから常に覚悟しておきましょうってことなんですけどね。
大抵の場合、あなたの評価を決めるのは周りからあなたを見ている他者だから。なによりも大事に考えるべきは「自分の普通」よりも「相手の普通」だってことを気づくと色んな意味で強い、というお話。

これは芝居をする表現者にも置き換えられて、自分のやっている演技は、ただ「自分がやりたい演技」ではなく「お客様にこう見られたいという演技」であるべき。これを常に頭においておくと表現の選択肢や、その芝居での方向性がだいぶ絞れると思う。

日記
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俳優活動をしています。
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