「人間」という言葉はどうして「人」単体ではなく、「間」という字が入るのだろう。
動物である学名「ヒト」ではなく「間」が入ることによって「人間」になる。
「間」を読み、理解する「人」が「人間」ということだろうか。確かに無言の「間」を使ってコミュニケーションを取れるのは「人間」だけだ。何もない空間や時間に「間」という意味を持たせられるのは「人間」だけだと思う。
「人」と「人」の間 (あいだ)に「間」が入ることによって「人間」となる。繋がりを強く意識した文化を形成している生き物。それが人間足らしめるものだとしたら、言語という音による「間」意外にも、様々な意味を付加した「間」が存在するはず。表情や行動による「間」、考えを持たないボールのような、ただの物にすら演出によって「間」を使い表現することができる。
芝居においても、台本の字面を表す以上に行間の芝居によってより深い意味を持たせることができる。
小説などのテキストにも「間」を使った表現は多くある。
ボクら役者は「人間」相手に「人間」を演じるのだから、「間」の可能性をもっと深く捉えていきたい。
ちなみに、この「間」が抜けるとマヌケになります。
深観 (じんかん)
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コメント
深いですね・・・・
私もいろいろ考えました
>>美笛 さん
演出や、表現においての”狙い”であれば、間抜けですら立派な技術になり得るんだと思うんですよね。