人間の記憶ってのは本当に面白いもので、ちゃんと”忘れる“ことが出来るんですよね。コレが脳のとても秀逸な機能のひとつ。必要ない物や特に頻繁に使わない記憶をどんどん忘れる事が出来る。
ただ、逆に”思い出す“ことも出来るわけで、久しぶりに聞く同級生の名前など、あるキーワードを聞いたことにより、その人物の存在を思い出す事が出来る。思い出すといういことはある程度知っているわけで、めちゃくちゃ懐かしいんですが、その名前を聞かない限り、あと何年でも僕の中ではそいつの存在は「忘れている=無かった」事になってたはずなんですよね。
そういった記憶は脳に入る情報が増えれば増えるほど、年を重ねて人生経験があるほど多くなると思います。人物以外にも行事や場所、体験など、ぽっかりと存在自体忘れている記憶が結構あるかもしれませんね。
昨日、中学校の同窓会がありました。
こういうクラス会のような中学の集まりは初めてで、実は中学3年のクラスの中でやってなかったのはボクら3組だけだったようです。というか3組だったことすら昨日思い出したよ!! 実に12年ぶりの再会。
まぁ、地元メンバーの飲み会かと思ったら当時の担任の先生が来てくださるということで、全部で25人くらい集まりましたー。すごい。当時のクラス委員長が3組の連絡網からみんなの実家に電話して、オレオレ詐欺に間違われそうになりながら集めてくれたそうです。ホントありがとう。
ちょうど僕らの世代は中学卒業して高校くらいからPHSが流行りだしたので、中学の頃のクラスメートとは殆ど連絡を取り合って無かったので今回はとても懐かしかったり気恥ずかしかったりで変に緊張しましたね、ナニアレ変な感じ。
だいたい当時は自宅の電話番号で連絡を取り合ってましたからね。よく連絡を取り合う3、4人は番号暗記してました (今は忘れてますが)。
昔は馬鹿な事でぎゃーぎゃー言い合ってたメンバーなのに、なんとなく呼び捨てにしていいのか戸惑ってしまう不思議な距離感。少ししたらすぐに溶け込んでましたが。
いやー楽しかった。
全く変わらない人にビックリしたり、12年の歳月による変化にビックリしたり、来ていた女性陣の8割が結婚していたことにビックリしたりと、懐かしい話に花を咲かせました。12年前の中学の頃は、まさか、自分達がローンと保険の話しで盛り上がるとは思っても見なかったでしょう。
どちらかというと「変わった」と言われる側なんですが。中学の頃のボクは本当にすごいやつで、いわゆる今風に言うと空気の読めないやつと言うか、奔放と言うか、自己中心的で客観的に昔の自分を考えると本当になに考えてるんだかまったく未知の生き物で、はっきり言って当時の自分の思考プロセスが理解できませんでした。
ただ、こういった昔の自分を知っている面子と触れ合うことで、昔の自分と向き合えるので、ルーツを知る事が出来るいい機会だと思う。
そんな中、先生から、『10年後の自分への手紙』をもらいました。12年前の中学3年生の自分が書いたらしいです。そんなん書いてたことすら忘れてましたが。
2年遅れで手元に返ってきた手紙は、なんだか気恥ずかしくて変な汗が出てくるような感覚で、12年前とのギャップを補完しながら読んでました。
そんな12年前の中3のボクからのメッセージの一文。
「たまには昔を振り返って思い出してみろ、そして前を見てもう振り返らずに立ちむかえ。きっと道は開かれる。とにかく今を楽しめ。無駄な事はない。これを読んでる”今”を大切に生きろ!!」
立ちむかえって、12年前のボクは一体なにと戦ってたんでしょうかね。
書き方がタメ口でなんだかイラッとしました。
しかしまぁ、軸はブレていないようでなにより。
無駄なことはなにもない12年間でしたぜ。
コメント