たったワンコインほどで買えるやたらと重い雑誌を持って、その重みには”あふれるほどに詰まった想い”を想像して、なんだか物理的な重さから実感を捉えることがきる演出にさえ思ってしまう。
。そのページのほとんどは広告でも、だ。
これは数ある運命の一つに選択肢を与えてくれる手段でしかないはずで。
けれど想いよりも、その”想いを支える土台”が詰まっているんだと思う。
こんなのただの紙の集合体です。重いのはページ数が多いだけです。
ただ、考えれば考えるほど、想像していたよりもずっと重い想いが溢れています。
これは、雑誌を持った気持ちが既に最重要であって、道を決める手段ではなく、どちらかと言えば決まった道を舗装していく手段でしかないんだから。
ピラピラとページを眺めながら、ゆっくりと地味な作業に勤しもう。
広辞苑よりも重いのだよ
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