七夕ですね。今年はいつもよりもいろいろな短冊に願い事を書き込んできたaxeです。
そこでちょっとした傾向を発見したんだが、町中の人々が短冊に書く願い事は”自分の本当の願い”というよりも”誰かに見られる”ということを前提として書いているものが圧倒的に多いということ。
もう完全にネタというものも含めて。
絵馬などもそうだが日本などのこういう文化において、願い事をオープンに飾るというのはいいことだと思う。だけど、やっぱりそこには多少の匿名性もあって、例えば閉じられた環境、クラスとか会社、同僚が見るであろう場所には絶対に同じことは書かないだろうなぁという願い事が赤裸々に綴られているのが印象的だった。
現代においてはSNSやTwitterのような”個”を主体としたリアルタイム更新のように、ネットでの”匿名性”もどんどん薄れていき、その壁もなくなりつつあるが、ちょうどこのボヤけた匿名性が短冊に書く赤裸々な願い事に非常に類似しているものを感じた。
おもしろい。
社会心理的に見てもただの同調行動ではないと思うから、いわゆる”昔の世代”と”今の世代”の情報格差は単にスピードだけではないかなぁと思ったりするんですよ。
ただ、本名で世界征服を願うのはなんともむず痒いので勘弁してください。
短冊に書く願いごと
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