舞台公演中に客席で「携帯電話が鳴る」ということは、何を壊しているのか。稀に舞台の本番中、お客様の携帯電話が鳴ってしまうことがある。もちろん、悪意ではないのだと思う。わざわざ映画の倍以上する金額を払ってその時間を公演に費やし客席に座ってくれている人が故意にそんなことするわけがないだろう。
うっかり切り忘れた、通知設定を見落とした、アラームまで意識が回っていなかった。そういう事情はあるのだろう。
ただ、それでも厳しいことを言うようだけど、舞台の本番中に携帯が鳴るというのは、単なる「マナー違反」では済まないと思っている。
これはお客様以上に、公演に携わる運営・出演者側が温度感高く、強く意識をしていかないといけないことだと思っている。
舞台は映像ではない。止められないし、巻き戻せないし、もう一度同じ空気でやり直すこともできない。
その日の、その回の、その客席でしか成立しないものだ。役者の台詞、呼吸、沈黙、間、照明、音響、そして客席の集中まで含めて、「ひとつの作品」として立ち上がっている。
そこに携帯の着信音が鳴るということは、静かな場所で音がした、というだけの話ではない。
作品の中に流れていた時間に、外側の現実を強制的に持ち込んでしまう行為なのだと思う。舞台上の集中も、周囲のお客様の没入も、その一瞬で不可逆に傷つく。
しかも本番は一回きりだ。
その回を観に来たお客様にとっても、舞台上に立つ役者にとっても、その瞬間は二度と戻ってこない。たった数秒の着信音でも、そこで壊れた空気は完全には元に戻らない。
単なるマナー違反ではなく、舞台空間における“共同幻想の破壊”である。
しかし同時に、「鳴らした客が100%悪い」で終わらせると、構造分析としては浅く、この問題は延々と繰り返す。
だから観劇前の携帯確認は、「できればお願いします」ではなく、舞台という場に参加するための最低限の準備だと、お客様以上に「こちら側」が発信しなければいけないと考えている。
電源を切る。難しければ機内モードにする。アラームを解除する。スマートウォッチも確認する。バイブ音も静かな客席では十分に響く。
舞台は、出演者だけで完成するものではない。
客席の静けさや集中も、作品の一部だ。お客様は受け手であると同時に、その場を成立させる一員でもある。
誰かを責めたり、「個人の不注意」として処理したいわけではない。
ただ、その一回しかない時間を軽く扱われることが怖いのだ。
「まあ、たまにあるよね」と客席も作り手も慣れてしまった時が、本当の終わりだと思う。
幕が開いてから閉じるまでの時間を、舞台上と客席で一緒に創り、楽しむ。
観劇とは、そこまで含めた共同作業なのではないか。

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