舞台は毎回、お客様にとっては一度きりである。けれど作り手側にとっては、複数ステージのうちの1回になってしまうことがある。初日、2日目…千秋楽。あるいは昼公演、夜公演。出演者にとっては「何回目か」の本番でも、客席に座るお客様にとっては、その日、その時間、その席でしか出会えない一回限りの舞台だ。
この非対称性を忘れた瞬間、本番はどこかで消化試合になる。もちろん、全公演を毎回まったく同じ熱量で迎えることは簡単ではない。疲労もあるし、慣れもある。
けれど、その“慣れ”がお客様の体験を軽く扱う理由にはならない。
お客様は、出演者の都合のよい公演回を選んでいるわけではない。その人にとっては、その一回がすべてだ。だからこそ舞台に立つ側は、「今日は何ステ目か」ではなく、「この人たちにとっては今日が唯一の本番である」という感覚を失ってはいけない。
これは単なる精神論ではなく、舞台という表現の根本に関わる問題だと思う。舞台は録画でも配信でもなく、同じ空間に集まった人間たちが、その瞬間にだけ成立させるものだ。
その一回性を裏切ったとき、作品は静かにお客様の時間や体験そのものを軽視しはじめる。
本番を消化試合にしてはいけない。役者の10回目は、お客様の1回目である。
では、役者はどうすれば「10回目の本番」を「お客様の1回目」として立ち上げ直せるのか?
現場で周りの空気や流れとは別に、個人的なルーティンでこれを意識している役者さんがいたら、僕は無条件で尊重し、同時に尊敬している。


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