演劇を観に行って辛口の評価ができない問題について。
小劇場における舞台の集客は、ほぼ8割以上がキャスト依存でいわゆる知り合いしか観に来ない状態。お客様のほとんどが関係者の知り合いなので、知り合いのキャストが見るSNSで褒める以外の選択肢などなかろう。
関係性コストが高い環境では、批判は供給されずらく、SNSの感想は「評価」ではなく「関係維持」や「応援の儀礼」として機能しがちなのだ。
しかし、問題はそこではなくて、その評価に甘んじてしまっている団体。それが現実だと誤認してしまった団体が一番怖い。
その歪んだフィードバック環境に団体が適応してしまう危険が、ままある。SNSで感想を探せばほぼ褒め言葉しか無いんだから。そのバイアスで作品づくりをしてしまうと、一番割りを食うのはその団体に出演している役者、そしてその先にいるお客様である。
残酷なことに、こと小劇場界では面白い団体が継続して舞台を作れるのではなくて、資金力のある (資金が回る)団体が継続して舞台を作れる。
この集客構造から脱出するのは難しいが (悪というわけでもないので)、プロデュース公演 (所属キャストではない構成)でキャストを入れ替えながら作品さえ作ってしまえば評価が著しく低くても (面白くなくても)、団体は作品を作り続けられる。
出演キャストの信頼残高が減り、キャストのお客様が離れていくだけだから。お客様の離脱は“作品”ではなく“キャスト単位”で起きるのだ。
そして、団体は別のフレッシュなキャストとそのお客様で集客するだけ。その際のSNSでの感想は褒め言葉だらけという…。
このようなプロセスの団体が「面白さとは別の燃料」で走り続けることの気持ち悪さと、なにより、団体によって出演者とお客様が“消耗品”のように扱われ疲弊する構造を可視化し、どこを変えるべきか (変えられるべきか)をずっと考えている。
本当の問題の焦点は、“感想を書けない側”ではなく“それに甘んじる側”だと思っているからだ。
とにかく、出演者が誤った成功体験に巻き込まれて消耗するのを避けたい。


コメント