「あの時の~は無駄じゃなかった」と言うために

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結果が全てだよね。
その通りだと思います。
全ての結果には過程があるんだけど、その過程の程はハッキリいって (特に客観的には)どうでもいいって言う意味では、極めて肯定的に受け止められる言葉だと思う (これはあくまで主観的に)。
でもその言葉に拘りすぎるのはいかがなものかと、少し疑った方がいいと思った今日この頃。”この頃”じゃなくても大抵のことは疑ってかかる僕ですが、一辺倒の考え方で客観的な思考を狭めてしまうことが自分にとってどれだけ無益なことかを理解しているつもりなので、こうやって考えれば考えるほど始まりのぼやけたループが繰り広げられます。
答えなんてないんですけどね、結局。
ただこう考える要因は、やりたいことがやれればそれでいいんだけど、最近その結果に行くまでの過程がおざなりになっているかもなぁ、という考え。
望んだものにたどり着けなかったという結果を、自分の解釈に整えるだけの言い分けにも聞こえます。
ちなみに、言い方は同じでも”ギャンブル”のそれとはまったく正反対の考え方でもありますが、ひとりで考えアウトプットしている以上、言い訳という点ではどちらも同じともいえますね。
「頑張った」、「~した」って言葉は、結果がついてきてから言っても意味がないので。そのときにはすでに終わっているんですから。
まぁつまり、「成功した人は何とでも言えるよ」ってことですよ。
ああ、言ってみたい。ボクもいろいろ無駄じゃなかったって言ってみたい。

日記
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俳優活動をしています。
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