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2011年10月11日 (火)

自分にとって大切なモノがいかに大切かを説いていたらとてもクリアになった。

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昨日は自分にとって大切なモノがいかに大切かを説いていたらとてもクリアになった。
根本に戻って、シンプルに考える事。気分を除外して好き嫌いをハッキリすること。


自分に自信を持つってのは自分の判断に責任を持つということ。
ここで重要なのは、責任が"生じる"のではなく責任を"持つ"ということ。

自分で決めたことがちょこちょこ揺らぐような人間は軸がブレてしょうがない。
自分のなかで一本決めた軸を頻繁に変えてるような未熟な考え方じゃ自分がなくなってしまうんじゃなかろうか。柔軟さと不安定を履き違えちゃいけないと思うんだ。

とはいっても、初めから達観していられるような人間は大口を叩く人以外一部にしか存在しないのだから、いろいろな経験則を踏まえて少しづつ少しづつ調整していって、精度を高めていけばいい。
どの状況においても自分が今どのくらいブレているかに気づける人間は強い。

2011年9月 1日 (木)

石コロ

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なんとも不思議な感情に見舞われた。


遥か先に見えていた大きな大きな物体が、気づいたときに意外と近くに横たわっていて、そのあまりに突然な距離感の崩壊に愕然とした。
大きいと思っていたその物体が、思ったよりも小さいのではなく、思ったよりも自分の見る目のなさに驚いたんだと思う。

ああ、天井を見ることばかりに気をとらわれていて、足元の地面を気にしないで歩こうとしている自分の滑稽さに悔しさを通り越してちょっと笑えてしまった。

信じるものは変えずに、目線を変えよう。

2011年8月24日 (水)

セルフコントロール

「できる人」ってのは、
自分のできることとできないことを、きっちり把握している人。

一方、「できない人」は、
できることもできないことも、できるだろうと思ってしまっている人。

そして、「もっとできない人」は、
できることもできないことも、できないと思っている人。

2011年6月18日 (土)

成長曲線

じっくりじっくり事を進めていくけど、ある程度いくとちょっとぶつかる壁がある。
それを超えると見える壁がまた。
僕らのやっていることで"成長"というのはちょっとづつ上達してく坂道ではなく階段のようなポイントをいかに掴んでいくかなんだと思う。
そこに時間がどれだけかかってくるか。

今できる最高のポイントを自分の中で把握して望んでいきたいなぁ。
ドカンと一段くらい上がれるかなぁ。

2011年6月 7日 (火)

月一

新月の前日は、夜になって真っ暗な空を見上げて目ぼしい目標点を見つけて考えます。

ふと一人の時間になると、これから処理することやたまったタスクを漠然とうじうじうじうじ考えて自分のキャパオーバーになるくらいにしてメモリを開放する。時々、わざとそんなことを繰り返している。

大事なのは一人の時間。自分だけ。
考えていることはきわめて個人的な、自分自身の問題に依るところが大きいので、他人ではなにも変えられないし、意味が無いからだ。
しかし最近、他人ではない自分以外の人間が存在するということが、どれだけ大きいものか考えさせられた。恥ずかしながら僕にとってそれは、とても刺激的な毎日となっているのを認めざるをえない。一人ではないのだから。自分でも驚くくらい、想像以上に頼っている部分なんだろうと思う。

こういう脳内デフラグによる情報の最適化は無意識のうちに良くしていたが、最近はこういうふうに考えられる分、より建設的になってきているのだろう。
これは今まで完全に独りでこなしてきたからだ。

こなしきた、隠してしまいたいくらいの自分の行動も凛として足跡と言えるくらい前に前に、自信を持って考えられるから。

2011年6月 2日 (木)

逆さまのジェンガ

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6月頭でもう梅雨入りして、例年よりもかなり早いみたいだけど、そんなことよりなんでこんなに寒いのか。
おかげでタオルケットと毛布だけだったのに布団をまた使ってるくらい寒い。

時間を有効に使いたいと思って昔は家に帰ってもずっとPCに張り付いてて漠然と寝る時間を迎えていたんだけど(それはそれで充実してた)、よくよく考えたら僕は日中ずっとPCの前にいてほとんどのことは昼まできてしま。

もちろん以前よりもクラウドサービスが格段に便利になったてのもあるだろうけど、PC以外の充実した時間を使えるのはとても嬉しい。それが今の自分にはとてもプラスにもなっている。

寒いから早めにベッドに入ってのんびりもそもそするのが幸せなんですよ。
そうそう、そして早く今週のジャンプを全部読みたいのですよ。


時間ってのは、積み重ねていったもの全部が記憶、蓄積されていくのではなくて各所各所断片を大切にアーカイブしていくんだろうなぁ。
記憶を逆行して遡っていくように。
ただ時間軸ではなく並列的に処理していける記憶タワーのようなイメージ。
逆さまのジェンガみたいな。

2011年5月31日 (火)

毎日毎日

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やたらと敏感に、失ったものの数を数えるようになったらだめなんだと思う。
そんなことより、得たものをどうするか、今までに与えてきたもの、与えられるものの数を数えていたほうがよほどいい。


どういうふうに説得力があるか、信頼できるかなんて、結局重要なのはそのあいだに隔たりなくある"空気"であって、それを取っ払えないならなんとでも言えるしなんとでもなるわけです。

これから起こるであろうことをぐるぐる想像しながら、メリット・デメリットをちょこっと計算して、想定される最悪の事態も踏まえて、それでも毎日ちょっぴりわくわくしながら楽天的に明日を迎えるわけです。
だから今日は、昨日よりも少しいい日になっているのだと思う。

2011年5月20日 (金)

馴れてしまいたくはない

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ストレスを受け入れるってことが大人になるということなら、
それを受け流すように馴れてしまいたくはないのですよ。

だから、「うっさいわーばかー」って低レベルな感情がぶつけられる存在がいるってことはとても幸せなことなんだと思う。
中途半端に大人になってしまい、感情をむき出しにできる対象すらもいないくらいなら、子供のままでいいと思う。でないと、じきに感情が腐っていってしまうのですよ。

時間で変わっていくのなら、もらった言葉は大した意味もないんだろうな。
それは変化じゃなくて風化だから、馴れてしまいたくはないのですよ。

2011年3月17日 (木)

なんの影響力もないぼくの戯言

ACの「ぽぽぽぽーん」のCMに発狂しそうなaxeです。
魔法のことばで突然現れるあのとなりの女の子は何者なんでしょう?

大変不謹慎で、失礼ではありますが、こんな文章ですいません。
今するべきこと

「こんな時だからこそ、心をひとつに」
「少しでも節電の心がけを」
「個人的なボランティア参加や、物資を送る気持ちがあるならばまず寄付金に」
「買い占めない、不安を煽るデマや噂を広めない」
「焦らず、今自分ができることを落ち着いて考えて!」

既に、散々言い尽くされてきて、初めて知ったよ! という人はいないんじゃないでしょうか。
これらは、とてもとても大事なことですが、ボクが同じようにこのブログを通して発信してもあまり意味が無いように感じます (無意味ではないですが)。
ボクの影響力はあまりにも微力で、そんなことをわざわざ伝える必要がないくらい、ネット上には皆さんからの有益な力強い情報によって溢れています


だからこそ、今の自分に出来ること。このブログで発信できること。
それを考えた上で、今思っていることをフィルターを通さず素直に発信してみようと思います。




11日に起きた地震によって、東日本広域において多くの方が犠牲となり、日本に甚大なる被害をもたらしました。
この災害により被害を受けられた方々に、心からお見舞い申し上げます。


震災被害は地震や津波の犠牲者、そして原発と、もはや局所的な被害だけではなく日本全体に影響を与える物となっています。
そこで日々届く様々な情報から届く声、声、声
ブログだけではなくTwitterやmixi、Facebookといった個人の情報発信ツールが発達して初めての大災害。情報元の曖昧な噂やデマが広まったりもするけれど、それ以上に被災者の方や、その方たちへの心配や励ましを送る"今"の皆さんの気持ちがなんと偉大な力か。

現状は決して楽観できるものではないけれど、一刻も早く苦しんでいる被災者の皆さんの不安を様々な形で解消できればと思います。


感動しております
ボクは現在起こっている状況に、いろんな想いをぶつけようとして、言いたいことや思っていることはたくさんあるのです。
ただ、どうしても言葉になりません
普通に暖をとって食べ物を食べ、明日の電車の心配をしている今のボクに言えることなんて、なにを言っても薄っぺらいものになってしまう気がします。

ACのCMを流しながらも各局は今伝えられる情報を流しながら少しずつですが通常の番組も再開されてきております。
悲しいくらいちっぽけなボクは、俳優という職業ですが、なんの影響力もない役者です
その影響力のないブログで、なにを吐いても有益な情報網には、きっとなんの足しにもなりません。
だからこそ、自分のために、独断と偏見で今思っていること、今起こっていることを記憶しておこうと思います。
コトバを。声を。

強い。
各国からの支援や、皆さんの生の声を聞いてます。
ボクの住む日本という国はとても強い
自分の無力さを途方にくれつつ、日々感動しております
"感動"なんてコトバは不謹慎かもしれませんが、この"戯言"が、どれだけ心強いか
今、笑いは必要ないかもしれません。
ただ、被災者ほか、現在下を向いている人を少しでも先に目を向けさせることができるならこの"戯言"は何よりも強力な力になります。

特別なことをする必要はないし、何も出来ないことに焦る必要もないと思います。
今自分にできることなんて、今何かを始めることよりも、いつも通りのこと、今まで通りのことを継続して出来ていることに感謝しながら発信し続けることです。

ボクはいまこうやって、不安でも無力でも、少しくらいうまくいかないことがあったって戯言を吐いて、
ボクはいまこうやって、生きてるんだから!!
皆さんの方が遥かに強い

すいません。
なんの影響力もないイチ役者からの戯言です。

2011年2月 2日 (水)

マンボウのがんばり

マンボウって魚。
魚のくせに構造上泳ぐのがものすごい下手で、泳いでるって言うより海に漂ってるというか流されてるだけなんだよね。
あまりに泳ぐの下手だからガンガン食べられちゃうの
だから2億個くらい卵産めるように進化してるんだけどさ、その前にまず泳げるように進化しなかったのかよっていう。


トライアンドエラーを他者によって評価してもらうとき、失敗したときに評価を下す者は怒るだけではダメ。怒ることも確かに重要だけど、それよりも大事なことは"見ててやること"結果だけを見て一方的に否定的なことを並べてもあまり意味はないし、言われた側の成長 (成功)にも繋がりにくい。

効率的にすることは確かに大事だだが、そこに至るまでのプロセスをどうすべきか、成功報酬をきちんと理解させて、行動自体を"やるべき価値のあるもの"に昇華させなければ評価する立場として意味がない。

2011年1月31日 (月)

「できそう」ってのはできる

言葉に出すことはとても大切。やろうとすることはきちんと言葉にして出すべき。
だからボクはできないことはほとんど言わない。言おうとしない。ズルイけど。よほどのことがない限り一度冷静にフィルターを通してから発しているはず。
しかし、そのかわり「できる」と口にしたことは絶対にやる。

自他を問わず、何も考えずに吐き捨てていく言葉がどれだけ重要か、言葉を扱う人間としてもっと考えないといけないなぁ。

2011年1月25日 (火)

概念の共有

人が感動するには"共感"が絶対に必要。「年をとって涙腺がゆるくなった」というのは、積み重ねてきた経験によって共感できるポイントがどんどん多くなるから。部分ではなくポイント。

このまえ始発の電車で手をつないでいる男女が、「私たちは傷を舐めあっていよ。いつかお互いにいい人が見つかるまで」とか言っていて、眠気が吹き飛びました。おかげさまで寝過ごさないですみました。

最近表現を通していろいろなモノづくりに携わることができて、そっち側の思考でモノを見るようになって幸せだなぁと思うことが多々あります。ぼくひとりで出来ることは限られてるんだけど、その限られた技術を必要としてくれる人がいるってことはとても嬉しいもの。

贅沢を言うならば、ぼくがそのなかで動くことによって、もっともっと共感してもらえるものを創りたい。

2011年1月12日 (水)

行使

本日ちょっぴり悔しいことがありまして。
3歩進んで2歩下がるを体現させてもらった感じ。
しかしまぁしょうがないか。そういう事もある。

物事を逆算して考えてもしょうがないけど、しょせん出来事ってのは不確定要素が連続で積み重なっているわけだからすべてが計算できるわけでもないわけで。
受け入れるか、引きずるかでこれからの動きがかなり変わってくる。
ルールの中で動く場合、共通認識の上で行う以上は、ある程度の互いの信頼がないとできない。
これを忘れちゃあいけないな。前に進もう。

2010年12月24日 (金)

まず目をつぶってから

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まずはきちんと二本足で立とう。話はそれからだ。
そしてバランスを忘れてしまう前に身を置こう。ぬかるんだ地面でも歩き続けられる精神を持とう。
踏み込む位置を間違えなければ大抵のことはなんとかなる。
でもそれ以上に、軸足のほうが重要だってことに早く気づいたほうがいい。


今できて当たり前のことは、出来るまでは意識してやっていたことだって、いつまでも忘れないように。

2010年12月22日 (水)

真綿を巻く

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その人のことを想っていて、注意深く接していれば1年もあれば人となりというかどういう人物かってのはかなり明確にわかるだろう。2年、3年付き合っていて「相手がわからない」とか、どれだけ興味なかったんだよとしか思えない。


だけど、恋人同士でもない限り、「この人はこういう人なんだ」という他人へのラベル付けは会ってから最初の1時間、人格的な印象は1週間で固定してしまうことが多い。事実、ボクにはそういう知り合いがいっぱいいると思う。
それでも相手が「わからない」と思うのは、どちらかが変わったから。
人間は当たり前のように変化する。

恒常的で気づかないだけで、認める機会があるならば自分を「わかった」と固定してしまうよりはずっといい。
自分のことを解っている人は立ち回りはうまいけど、それ以上のことはできないもんですよ。

2010年12月21日 (火)

いつもそうやって意志を待つ

当たり前だけど、ちゃんと雨は降る。
ずっと降らないってことはないけど、降りつづけることもない。
タイミングってのはこういうものなんだと思うし距離感ってのは大事だよなぁ思う。

やるかやらないかではなくて、プロセスが大事だと言い聞かせる。
わがままで進めているわけじゃないという体裁を作りたがる。

つくづく、自分は測定に時間をかける人間だなぁ、と。
いわゆる受身という表現は適当ではない気がするけど。
それでも、ボクという人間を尊重してもらえているという嬉しさはすごく実感してます。

例え自分たちにしかわからない距離でも共有出来てるってわかる安心感はたぶんお互いにずっと変わらないものでその時感じた感覚はずっと残っているんだと思える。

それでも、他者から感情をもらえるということはとてつもないこと。
もっともっと応えたい。わがままだけど大切にしたいんだ。

2010年12月19日 (日)

クッキーアプローチ

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ふらふらと食べ歩いたからこそ、いろんなところに自分の足跡が残っている。
クッキーの食べかすを拾うように、淡々と物事を積み重ねられるもんじゃないけど、拾ったクッキーをどうするかは自分次第。
有効活用したいよね。

人によってはゴミのようなものでも、使い方によっては情報の宝庫だからね。
何も考えずに捨ててしまうよりは"使えるもの"として有効にしていたほうが利便性が上がるよね。

2010年12月17日 (金)

訊いて聴く

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過去のことは、ふと思い出す程度に、自分の中に蓄積されてる経験値としてしっかり貯めこんで、それ以上にこれより先にある出来事を大事にしています。
なので、あまり振り返ったりせずに前ばっかり見ていけるほうです。
だけど、自分が体験していない過去、想像しうる残影ばかりはどうしても大きくなってしまう。
どうにもできないことだけに。


解釈によってどうとでもできる現象は、ひとりですべての解釈をして、できるだけ上限値と下限値を踏まえた上で考えるから、マイナスが大きくちらつくのです。
どうにもできないからこそ葛藤できる価値があるし、それをなかったコトにして向き合わないこともできない性格なので、散々に考えて削られようと、それでも考えるしかありません。
否定も肯定もできないけど。
それすらもボクの体の一部なんだと思って、純粋に受け入れて一緒に生きていこうと思います。

とにかく、その時考え、思ったことを大事にして、これからの自分だけが照らせる部分を上書きしていこう。

2010年12月 6日 (月)

音色温度

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ふわっとした匂いを頼りに、ふと思い出す瞬間。情感。
自分が思っていた以上に記憶に残る匂い。
その時のテレビの環境音だとか、遮光カーテンから漏れる光だとか、温度だとか。
記憶に"色"がつく。


見えている色は同じだろうか。

2010年12月 5日 (日)

ノイズを散りばめる

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昨日までの自分が何をやっていたのかを思い出す時間は必要。
脳みそのデフラグ。再構築。


大事なのはメモ自体よりも、メモに書かれていたことを見て思い浮かぶフラッシュバック的な瞬間記憶。こっちのほうがはるかに情報量が多いし効率的。だからこういうメモを残すときはわざとそうさせるようなワードを散りばめるのみ。詳細に書く必要なんてない。

問題は、何を思って書いたのかわからなくなることが多々あること。
そんなモノでも一週間後にふと思い出したりするから不思議。
人間の脳ってすごい。ボクの脳って不思議。

2010年12月 4日 (土)

自分が吐くのはこういう場で

ちょっと考え方を変えれば、自分の目の前にある事柄は、なんでも自分を高める材料になる。
だから、演技や芝居と言う評価基準が明確にない"表現"という分野はどんなものでもヒントになる。得るものがある。

この3週間、ボクはものすごく楽しかった。
誰にも気を使ってないし迷惑をかけられたとも思ってない。
ただ、自分にとってメリットがある場だったから、ものすごく楽しんでいた。

この壁をぶち破る力がほしい。おもいっきり出し切れる地盤がほしい。

2010年12月 3日 (金)

次へ

1日2時間くらい風呂で本読んだり音楽聴いたりしてる人がいる。
1日2時間ってことは、年間約1ヶ月くらい風呂で生活していることになるな。
ふやけそう。

来年のことについて考えている。とても嬉しいことばかり。
なんとかカタチにしたい。
ボクだけではどうにもならないことばかりだけど。

ああ、でもやっぱり好きなんだろうなぁ。
これだけ考えていて思考を支配されるってことは。
この回路の組み立ては言葉に出すよりも容易い。

2010年12月 2日 (木)

残心

たどたどしくも、ずっと残るものってのはある。残してきたのか残されたのか。
自分のやっていることを正当化できないのは結局共通認識である。
吐き出した言葉の奥で会話をするのだけど、これが妙に心地いい。
ああ、残る残る。

2010年12月 1日 (水)

ちょっとの時間

" ちょっとの時間"をとらせるということは、その相手の時間を共有するということです。だからこの瞬間もあなたとボクは時間を共有していることになる。ちょっと時間でも、相手と共有できるということはその瞬間を時間軸を変えてアーカイブできるような感覚に似ている、と思う。

いいものはいい。いつでもそれは真理であって、自分がいいと思ったものを極めることがいいものを作る最短の道になるに違いない。勘違いしていなければ十中八九そうに違いない。ただ、僕らがやっていることは観てくれる人達がいて初めて成り立つもの。その人達からの評価が絶対でもある。

2010年11月30日 (火)

芝居を創る

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芝居を創るってのは、コツコツと、段階を踏みながら食い込んでいく作業。
ちょっとでも楽をしようとするとすぐにリセットされるけど、自分を客観的に見ることと、主観的に見ることを並行して行うアクロバットをこなせるならものすごく楽しめるはず。
抜け出せなくなるくらい。

2010年11月29日 (月)

「そりゃあそうだよな」って思う

話していてすぐに言いたいことが伝わって理解したというプロセスをすっ飛ばして話を展開してくる人は本当に頭がいいんだなぁと思う。
楽しい、というか回転やテンポの波長が合うんだろうな。
これが相性ってやつなのだろう。

2010年11月17日 (水)

呼応

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コツコツと、段階を踏みながら食い込んでいく作業。
ちょっとでも楽をしようとするとすぐにリセットされるけど、直接的に行動できるほど自分を主観的に見れません。
ジレンマというイメージがこびりついて別のベクトルに転換させることで“意味”を見いだしてます。
間違ってはいないはず。
もっと包括的に。もっと効率的に。

フィールドに立たせてもらえば跳ねられる。

2010年11月 7日 (日)

ジブリッシュ

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表現とは、その場にあるすべての手段を用いて最善の方法で伝えるべきであってそれがお客さんに対して効果的であるならばどのような方法論よりも正しい。


だから、台本という字面だけに頼って表現しようとしても限界があるに決まっている。

台詞を追う芝居はしないようにしよう。

2010年10月27日 (水)

優先順位を、あえて付けないという選択

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いつかやろうと思っていることと、やらなくちゃなぁと思っていることはかなりかぶっていたりする。オトナになるってのはそういう妥協という塵の積み重ねのようなものだ。


妥協とはいえ、その未処理の案件はたいてい大した野望があるわけでもなくて、そのほとんどはちょっとしたことであって、時間があればできることがいっぱい。動画編集であったり、確定申告のための住基カード申請であったり、BTOパソコンを組むことであったり、少し腰を据えて望めばできることばかり。やらないだけなのだ。

すぐに処理していけばそうそう塵は溜まるものではないが、これが少しずつ少しづつ積み重なっていくとそう簡単にどの階層から手をつけていいかわからないくなり、手をつけないまま時間が過ぎていくという悪循環が起きる。これは、"積みゲー"のような状態によく似ていますね。
年を重ねていくとそういった状況がよく発生します。
子供の頃のように自由持時間が使えないというジレンマと、子供のとき以上に視野が広がり興味対象が多くありキャパオーバーに陥っているということ。
これは、子供の頃はそう簡単にゲームを買えなかったので、とことんひとつのゲームをやりこむのと良く似ている。

じっくりやって十分な結果が出るとは限らないので、とりあえず手をつけるという精神は忘れたくないなぁというお話。
時間をかけて100%以上の結果を望むよりも、サクっとやって90%に近い結果を出していったほうが遥かに有意義な気がする。大事なことほど、そう。
人生は有限なのだから。

2010年10月20日 (水)

ミチ

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いくつかある道から選択をして知らない道を歩んで行くのならば、
その先は今よりもいい方向であって欲しい。
その先は今よりも楽しいところであって欲しい。
その先は今よりも大きくなれるところであって欲しい。


知った未練や後悔よりも、真っ白な未知が続くほうがいい。
今までに背負ってきたものが重くても、捨てずに歩み続けよう。
通ったあとに自分の色に染まった道が残ればいい。

2010年10月19日 (火)

「疑う」を疑う

人は原因を求めたがる。
ある現象には必ず原因があるが、道路が混んでいたら、「ああ、今日は五十日だから混んでるんだね」、「雨だから混んでるんだね」と、それを追求し自分の中で (無理矢理にでも)納得し、落しどころをつけることで精神的な情報欲求を満たすことによって満足するのだ。
自分が知っている気になれるから。
"自分が"ね。ここが重要。


情報やニュースに疎い人よりもそういうことに対してキャッチャーな人のほうがそういう傾向が遥かに強い。
本当に些細な、それこそどうでもいいことにでも原因という名の"理由"付けをしたがるものだ。
ボクがそうだから。

溢れている情報に敏感になって、自分を納得させるだけの説得力のある理由を探すことは、常にそういうプロセスを踏むトレーニングにもなるからだ。
探究心がなく、知ったつもりになるよりはよっぽどいいはず。

2010年10月17日 (日)

テンションの奥行き

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電車の席でせわしなく操作をしているサラリーマンを見て、誰か片手で操作できるiPad作ってやれよ!! と思ったらiPhoneが脳裏をよぎったので無性にやるせない矛盾を感じた次第であります。

そんなボクはXperiaで「おれは寝るぞー」と打とうとしたら、「おれ跳ねるぞー」と出てきてちょっとテンションが上がってしまった。

上がったテンションのままやりたいことをやってしまおうと意気込んでも自分のスペックが追いついていなくていまいち作業効率と時間×労力の計算に時間を割いてしまう夜の部。
境目の感覚が曖昧になったのか、あっという間に朝が来ます。

結局なにもやらないで、明日に残った"何か"で今日を生きているんです。

自分が3日前何をしていたか、一瞬思い出せなくなりますけど。
それもよく言えば今を生きているから。

2010年10月15日 (金)

ミッシングリンク

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自分が年をとったと感じるのは、自分を見てではなくて、自分の周りが年をとったと感じるとき。
特に年下が成長しているとき。


毎日自分を見ていて年をとったなんて感じるわけがないので、ずっと独りでいればそう感じることは遥かに少ないんじゃなかろうか。

だから、自分の年を実感できるってことはそれだけ周りの人間の成長を感じ取れているってこと。
しかも、その比較対象が自分の分身である子供だったりなんかしたらそりゃあもう可愛いだろうし、毎日実感するでしょうよ。

そう考えたら、ああ、なんか年をとるって幸せなことだなあと思った。

2010年10月12日 (火)

網の中へ入る

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推し量ってばかりじゃなにも動けないですよね。
求められることばかり考えて、自分だけぬるま湯に浸ろうとするこのクセをどうにかしたい。
覚悟をしてしまえば恐ろしいほど楽しめるのに、相手の出方ばかり気にして、動く理由を探そうとするのはあまりに生産性がないじゃないか。
目の前の草は、自分で掻き分けよう。

2010年10月11日 (月)

壁掛け時計

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夢を見ました。
夢に見ていることがちょっとずつ現実になっていく感覚のある変な夢。
目が覚めるとまだ見慣れない天井。いつもと違う角度からの光。
不思議な空間にいて、周りを見渡して初めて安心する物を見つけてそれが現実になっているという実感が湧いてくる。


また、まどろみながら夢を見ます。

2010年10月10日 (日)

バイナリ

ボクが物事ごとを決めるときは、グダグダ考えていてもそんなの微塵も見せずにありとあらゆるパターンを自分の中で熟考した上で、いったん自分の中で決めたことは揺るぎ無いワケですが、物事には同意を伴うことも多々存在するわけです。

基本的に、どんなに深い考えがあってそこにたどり着いたとしても、結果伝えるべき結論は白なのか黒なのか、やるのかやらないないのか、ゼロかイチなのかしかありません。


0と1のみを使ってすべての数字を表す"2進法"は非常にシンプルで処理しやすいことからコンピュータ等の処理に用いられていますが、"二個一組"という概念もあり、数字として整理されていてとても美しいものです。


2010年10月10日。「10」という数字が3つも連続で並ぶ日です。
ちなみに、2進法で「10」という数字を表すと「1010」となります。


考えると、ボクらの身の回りの概念は見方次第で、それこそ何にでも変換できて、その規則に沿った考えでどうとでも捉えられる。
良くも悪くも。

だけど、ひとつのカタチをどう変換してどう解釈しようと本質は変わらないのです。
あらゆる角度から見ても動かない本質があります。絶対に。

形式でもなんでも、一番大事なのは本人の本質、中身。
それがカタチになるのなら、意味を持たせるのではなく意味のあるべきことにしよう。

2010年10月 7日 (木)

蛇口

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だんだんと日が落ちる速度を夕日の角度で体感しながら、毎日の変化を少しずつ少しずつまぶたに焼き付ける。
記憶ってのは鮮明に残らないもので、自分の鮮明にしたい部分だけ強化されていく。
だからこそ何かを残そうって考え方ではなくて、自然と残っていくことに比重をおいていきたい。


蛇口から流れるの水のように、何もしなくても時間が流れていくんだなぁと止まっている自分を基準に考えます。

動いていると周りの動きが見えなくなる。
それでもめまぐるしく変化していく周りの動きを見ていると、そろそろ動き出したいなぁとウズウズしてきます。
そろそろどちらかに捻ろう。

2010年10月 1日 (金)

プラントル・グロワートの特異点

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前のめりになって傾いた力で前に進む。
そんな前向きとも惰性的ともとれる感覚を楽しみながら、自分のペースで踏みしめるように進んでいます。


吐き出す言葉に責任をもつほど大層なことも出来ていないし、なにも成してはいないけど、絶対に進んできたことに後悔しないようにはしています。

自分だけは曲げないように。曲がらないように。
どんなことがあっても自分を否定しないように。
せめて自分に対しては誠実に向き合ってます。

2010年9月29日 (水)

ラバーペンシル錯視

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固いはずの鉛筆を指でつまんで上下に振るとぐにゃぐにゃに曲がって見えるように、物事はその人のいる位置から見る捉え方によってずいぶんとひん曲がって見えるはず。
同じものを見ているはずなのに。


フィルターがないから直に来るんだよね。
だからある意味完全に信じきってる。
いいことも、悪いことも。

自由につまむ場所を変えてしまえばずいぶん楽になるとは思うけど、そこにカテゴライズすると"ただの他人"ともいえる。
気づかれないような距離を保つってことで、信じているんじゃなくて、傷つきたくないだけの行動パターンに従事してしまう。

たいていはそうやって生きていても大丈夫。
もしろ波風立てないように生きていける。我慢していけばいいのだからね。
恐ろしいほどつまんないけど。
それが自分の一生を左右するとなったらなおさら。

だから持ち方やつまむ場所を変えようなんて思わない。
同じものを見ているんだから。

2010年9月23日 (木)

結婚は人生の墓場です

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結婚は人生の墓場らしいです。


当たり前ですが、好きな人を妻にできる(環境がある)ひとは最高に幸せなんだと思う。

30歳直前まで彼女がいなかった男性の、ネットでの書き込みでこんなものがあった。

「結局、彼女がいるかどうかなんてどうでもよくて、好きな人を彼女に出来るか、が問題なんだよね」

自分自身がよほどの高スペックでなければ、妥協しないと彼女なんてできない。街で見かけるカップルも大抵はどちらかが妥協しているのがすぐわかる、と。
この男性は自分よりも年上の"そう好きでもない"女性と妥協して付き合い始めたらしい。

この内容は結婚に関する話題まで及ぶのだが、もちろん当面は結婚する気はないということ。

この考え方は、"好きな人を彼女にできるか"より、"彼女がいるかどうか"にシフト (妥協)した結果のひとつだそうです。
しかしながら、結婚においては、よほどの理由と妥協がない限り、好きでもない人と結婚し一生を添い遂げようとする人はいないので、妻がいるかどうか彼女がいるかどうかとは大きな違いです。こればっかりは妥協してできるわけがない、と。

だから、結婚できたのなら何が起こったっていいじゃないか。結婚は墓場だとか、プライベートな時間がないとか、自由に使えるお金がないとか、遊べないとか、そんなものは妻と一緒にいられるという幸せの前にはどうでもいいことじゃないか

そういう意味ならあの言葉は、あながち間違いじゃないと言える。
どうせ、最期は一緒に墓場に行くんだろうし。誰にも侵されない安住の場所に行く相手なのでしょうから。

2010年9月20日 (月)

フラクタル

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いろいろな情報が入ってきて、その材料で先のことを考えると頭が一杯になります。


常にさまざまな選択肢を考えておくんだけど、いうほど楽観的じゃあないから、どうしても悪いほうのパターンを想定してしまう。
そうやって、ある程度自己完結しないと足がでないタイプです。
いや、自己満足か。

隣に自分が予想できないようなパターンの生き物がいると、なんだか心から安心します。
活きてるって感じるから。

子供の頃からボクは何にも変わりません。
変わったのはこうして言葉にできること、その手段を持っていること。
それを発する相手ができたこと。
活かしてくれて、ありがとう。

2010年9月16日 (木)

シロかクロか

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9月16日。日付が変わって、ボクは誕生日を迎えました。28回目だそうです。仏滅だぜ!!
おまけに外は大雨というダブルコンボですが。
いつもより、ほんの少しだけわがままが許してもらえそうな日なので、今日はある程度のことは「誕生日のせい」ということにしてしまおうと思っております。


今年の目標は「居酒屋で年齢確認されないようになる」、
今日の目標は「傘を忘れない」です。


毎年誕生日を迎えるといつも思うんですが、子供の頃は、ひとつ歳が上がるとなにか全く違うことができるんじゃないかと思えてたんですよ。RPGのレベルや、ポケモンの進化のようにね。

今から14年前、14歳の頃に発売した初代『ポケモン』の新作が今週発売されるそうですね。
当時、金銭的な問題から2本買えず、『』を買うか『』を買うか、子供なりにデータを集めてどちらのバージョンのほうがメリットが大きいか白黒ハッキリさせようぜ!! とか思っていたんですが、ついに『ホワイト』と『ブラック』が出るのですね。今でも白か黒かで迷っているとは

こうやって新作ゲームの発売日を楽しみにしている今のボクと、14年前のボクとでは何が違うのでしょうか。


あの頃に見ていたものや思っていたことは変わらずに、少しずつ時間と共に積み重なったいろいろな経験則で変化して、今のボクになっております。
何一つ無駄なことはなかったように思えますし、ずっと無駄なことをしてきたから今こうやって考えられるのかとも思います。

ただ、今ボクの周りにいる大切な人が喜んでくれていて、ボクはそれを見て自分の誕生日を実感しています。
自分にとって大切な日は、自分の大切な人ににとっても大切な日。
これからも、できればこうやって年を重ねていきたいものですな。



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2010年9月14日 (火)

世界の片隅にある部屋の中心で

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ゴールラインを設定することは大事だけども、一転それがスタートラインになることは多々ある。
打ち切り漫画の「本当の戦いはこれからだ」という常套文句よろしく、生きている限り目標値を達成しても必ず新たな目標ができるはず。


良くも悪くも"過去"は絶対に変えられなくて、"未来"は今の行動によって変えられるのであれば、人生において 最も大切な時は、いつだって"今"です。
昨日も明日も、今日の積み重ねでしかないのだから。

2010年9月 9日 (木)

誕生日のパラドックス

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ある団体で、同じ誕生日の人がいる確率はどのくらいだろうか。
1年間、365日のうちそれぞれに生まれている人がいるので、単純に考えればこの数字から導き出す確率の問題である。


"運命"には絶対的な尺度がないから、タイミングとか偶然とか、効率なんて、その瞬間その瞬間で考えると気が狂いそうになる。
物事には絶対に"ゆらぎ"があるからだ。
長い目で見れば必ずどこかに結び付けられる事象、接点があるはずだから。

計算をすると、確率では、23人集まればその中に必ず同じ誕生日の人がいるわけで、365人も必要なく、そういう考えで見るといない方が珍しいんだよ、となる。
数字で見ると、思ったよりずっと少なくないだろうか。

その人の切り取った尺度内ではその運命は成立するかもしれないが、きっとそれは捉え方の違いのようなもので、自分を納得させる理由でしかない。あなたの中で運命と思っているそれはきっと運命なのだろう。

運命を否定しているわけじゃないですよ。
ただ、大抵のことは言い回しによっては"運命"と言い換えることができるんだよ、と言いたいのであって、そう簡単に吐いていれば説得力がなくなって、終いには自分を誤魔化すことすら危うくなりますよ、と。

「絶対」とか「運命」を簡単に行使するなよ、と。
気持ちの問題ですけどね。

2010年9月 8日 (水)

懐疑論者

オレさー、幽霊見えるんだけどサ。
え、頭おかしい? オレが幽霊だって? 社会的に??

いやいや、お前さ、実際ハトが見えて、そこにあると思ってるのに、
ハトが見えている自分の頭がおかしいなんて思うのか?
見えないやつには見えないんだよ。

お前さ、お前の見てる「赤色」が本当に赤色だと言える?
それが全く同じ見え方をしているってなにをもって証明できる?
自分の信じている色がみんなが見てるのと同じ色だって保証はどこにもないだろ?

だから、「そんなものはいないよ」って言っていること自体ナンセンスなんだよね。
答えは誰にもわからない
ただ、オレは見えるんだよ。あなたが見えないと思っているものでもね。
"いる"とか"いない"とかね、そもそもそういう議論じゃないんだよ。

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あーただね、
人間のことはよくわからんね。

2010年9月 3日 (金)

そこまで

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適度な焦燥感の中、自分の仕事を全う出来ていると思う。
それでもまだまだ足りないと考えている。


いつも、どこかで満足していない。
満足したら終わってしまうと思うから。

炎天下の空のもと、おもいっきりできることをやって自分の今いる段をかみしめます。
たとえそれがどんな場所でも客観的でクレバーに見るべきだし、全うするべき。
今できることではなく今しかできないことをやろう。
考えたことはやっておこう。一度でもOKが出たら、その部分はもう自分の手が届かないところに行ってしまうのだから。
足りてしまったら"そこまで"なのだから。

2010年9月 1日 (水)

シ戻

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最近相手のことなんて考えずに、感情を全部自分に投影させている気がする。
自分にしては珍しく主観的に感情を動かしている。
誰のためでもない。きっと自分のためですらない。


最近になって、「言葉にする方法を持たない」という意味をひどく痛感している。
自分の心臓の位置が痛いほど明確になって突き刺さるような自分の感情がどんどん溢れてくる。

その時の状況なんて関係がなくて、
それが意味がなくて迷惑なだけだということは頭の冷静な部分でしっかりと解っている。
解っていても、なんで目の前がぼやけていくかは解らないんだもの。
溢れるように出てくるんだよ。
悲しくても! 嬉しくても! 笑ってても! 怒ってても!

2010年8月31日 (火)

タイヨウ

突然ぷつんと音を立てるように、長い長い夏休みが終わりました。
ずっと続くかと思えたような暑さも、冬になればきっといくらか忘れてしまうのだろう。

何もしなくても、何かしていても季節は変わってしまう。
自ら進ませようとしなくとも、季節は巡り、夏は終わりを告げてしまう。整理ができていなくとも、いくらか進められながら歩いているとしても、しっかり季節は変わってしまう。

それでもいつかは季節の変化に身を投じるのだから、はっきりとどこかで認識をしないと。終わらせることのできない季節だろうと、それは来る。足音なんてなくて突然に。
季節は繰り返すけど、物理的に戻せない時間とあの時の空気はもう二度と帰ってこないから、同じ夏は絶対に来ることはない。
夏は終わったのだ。


ただ、夏が終わっても、季節が変わっても、自分の立ち位置がいくら変わろうと、
いつまでもいつまでもただ純粋に照らしていてくれるタイヨウ。
変わらずに、ずっと照らしていてくれる。

こいつが、ずっと頭の上にいるんです。

時には痛いくらいに突き刺さる日差しもあるけれど、包みこむような心地いい光が大好きです。
手が届かないような場所からでも、これからも、ずっとずっと温めてくれてます。

2010年8月30日 (月)

犠打

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"自然"という表現。
僕らのやっている"表現"とは、見せたいポイントを絞るため往々にして、個性を求められない場がある。
無個性という芝居を狙って演る場合すらある。


各々が違う仮面をかぶって、その先に同じものを見ているような感覚。
表現はお祭りだ。

2010年8月29日 (日)

色眼鏡

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もっと上手に笑いたい。
もっと上手に泣き叫びたい。


もっといろんな色を見せてやりたい。
もっとシンプルで飾り気なく、なんのフィルターも介さないありのままの自然体で。

世界を変えるにはまず自分から。

2010年8月26日 (木)

Zipper of back

どんなに論理的に正論を言おうが、通じないということは往々にしてある。
そうなってしまえばあとは、それでも伝えようと努力するか諦めるか。
でもね、同じテーブルにすら乗ってくれないんじゃ、どうしようもないじゃないか。

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や。ところでキミは、立てたのかい。

2010年8月25日 (水)

ケアン

温度を推し量れない状態で、こちらの本気に対して、別のベクトルを感じてしまうとふと絶望的な距離感を感じてしまう。楽な方を選ぼうとしてしまう。

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人は2度死ぬという。
一度は命が尽きたとき。2度目はその存在を忘れられたとき。

無かった事にされるのが怖くてしかない。
すべて通り抜けてしまう感覚。自分が無くなってしまう感じ。


自分が今しようとしていること、してきたことを先まで留めておけるのは、どんな形であれ発信を受け止めてくれる人にほかならない。
チラシの裏に書いてゴミ箱に捨ててしまうのと、なんら変わらないのだから。

しなければ良かった話なんて、ひとつもない。

2010年8月24日 (火)

平々凡々

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「普通じゃ嫌だ」って言えるやつは、自分がどれほど幸せな立場にいるのかを考えてみるといいよ。


好きな相手とくだらない番組をみながらツッコミを入れて、肩を寄せあって同じ食事をつっつきながら過ごしたり、仕事から帰ってきて先に寝てる相手の布団に潜り込みながら、キスしてぎゅうっと抱きしめて眠りについて、起きたら横にいる相手を引き寄せて体制を変えながら寝顔を眺めたり。毎日毎日くだらないくらい極めて普通な日々。
普通に就職して、普通に結婚して、普通に子供産んで、普通に看取られながら死んでいくんだよ。

最高だよ普通。
普通に死にたいよ。

2010年8月23日 (月)

底のカエル

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なにを考えてるの。
あなたはなにを考えて底にいるの。
上がってくればいいだけじゃないか。


ゆっくりゆっくりと。これ以上、下にに行くことはなんだから。
井の中の蛙でも、見える範囲の空をしっかりと見据えているんならいいじゃないか。
それならボクは喜んで蛙になろう。

2010年8月22日 (日)

レジューム

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低めに設定したエアコンの下でパワーセーブを押して体温の調節をしながら、渇いてもいない喉をカフェインが通って行く深夜の感覚。


少しの足しにでもなればと薄いタオルケットを、硬い床の上で羽織りながら思考を指先に集めている。
漠然とした一つの絶対的な完成形があって、そこから感覚の欠損や感情が埋もれていって様々なノイズのフィルターを通して、最終的に落ち着くカタチを自分の中で納得しながら出力する。そんな作業を繰り返す。パチパチパチパチ。

机においた携帯のディズプレイに反射する、ミュートにしたテレビから漏れる明かりに反応しながら目線を動かし、途切れ途切れになる思考をつなぎあわせて自分の軸の居場所を探す。なんとなくね、少しずつ少しづつ確認しながら。

怖いのはノイズに溶けこんでしまうこと。
しかし、もっと怖いのは、ノイズを聴こうとしないこと。

2010年8月20日 (金)

敷居をまたぐ

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もっとしっかりと準備したり、いろいろなアウトが変えてくることを想定して、いろんなパターンを考えたりしていたが、返ってきたのは想像していたよりもずっとシンプルな言葉と思っていたよりもずっと温かい心遣いでした。


おそらく自分でも最も妙な会話をしようとしていたと思う。
自分でも笑っちゃうくらい緊張しているような感じだったのを覚えているし、距離感という数値が表せるなら間違いなく体と心が同じ人間のそれではなかったと思う。
ただ、無様なくらいに無防備でストレートに向かおうと初めから決めていたので良かったと思う。

精神的な障壁がびっくりするくらい取り払われた。
物理的な距離よりも、精神的な敷居のまたぎかたがいかに大事か。

2010年8月16日 (月)

ちょっといいですか?

ちょっと考えたんですよ。ちょっと聞いてください。つまらなかったらそのまま読み飛ばしていただいて構わないんで・・・ほんのね、3分程度なので・・・ちょっとの時間お付き合いいただければ幸いです。

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"ちょっとの時間"をとらせるということは、その相手の時間を共有するということです。だからこのよく解らないような文章を読んでいただくこの瞬間もあなたとボクは時間を共有していることになる。
ほんの少しの時間でも、相手と共有できるということはその瞬間を時間軸を変えてアーカイブできるような感覚に似ている、と思う。


問題は、万人がボクをと同じ感覚で生きていないこと。この文章を読んで共感できる人もいればできない人もいるはずだ (ここまで読み進めてくれている時点でまずありがたいんですが)。だからこそ、価値観や感覚のすり合わせは重要になってくるし、話し合いやその相手との相性は絶対に存在する。誰に対しても同じ捉え方をさせることは限りなく不可能に近いから。
だからこそ、限られた相手とリアルタイムで感覚を共有できている (と思える)ことはとっても幸せな状態だと思うわけですよ。
そんなわけでして、ありがとうございます。
ボクはね、とっても幸せものです。

2010年8月15日 (日)

疎通

意思や決意の報告には、結果よりもその課程。"プロセス"が大事だ。

周りは「こうしたいです」という結果よりも
"なぜそうするに至ったのか"というプロセスを聞きたがるから。

そちらから固めてやる方がよっぽど丁寧に真意が伝わるというもの。

2010年8月12日 (木)

広辞苑よりも重いのだよ

パパパパー
たったワンコインほどで買えるやたらと重い雑誌を持って、その重みには"あふれるほどに詰まった想い"を想像して、なんだか物理的な重さから実感を捉えることがきる演出にさえ思ってしまう。
。そのページのほとんどは広告でも、だ。
これは数ある運命の一つに選択肢を与えてくれる手段でしかないはずで。
けれど想いよりも、その"想いを支える土台"が詰まっているんだと思う。


こんなのただの紙の集合体です。重いのはページ数が多いだけです。
ただ、考えれば考えるほど、想像していたよりもずっと重い想いが溢れています。

これは、雑誌を持った気持ちが既に最重要であって、道を決める手段ではなく、どちらかと言えば決まった道を舗装していく手段でしかないんだから。
ピラピラとページを眺めながら、ゆっくりと地味な作業に勤しもう。

2010年8月 5日 (木)

へいこう

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等価交換とは等しい価値を有するものを相互に交換することで、何かを得る為には同等の代価が必要であり、ある程度の犠牲を伴うことがついてまわる。
逆に言えば、失うってことは、何かを得ることでもある。


大切な物が出来るってことは、それを失う怖さを知るってこと。
その思いが大きければ大きいほどその喪失感 (=恐怖感)が強くなるのは当たり前で、まずは自分の後ろにある経験則に裏付けされた行動に頼りたがる。

しかし、だからといって前方ばかり見ていても、そこに達するまでの道のりがわからなければ守りようがない。
だからこそ、まずは今いる足元を確認して多少の揺らぎでも許容できる強靭な足場を作っていきたい。しっかりと、自分の"今いる場所"をコツコツと。

2010年7月21日 (水)

真上に近道はない

例えばひとつの目標に対して、そこに達するまでには遠回りから近道までいろんな方法論があって、ボクは割と効率よく進める道を選んできたと思う。
ただ、そんなやり方ばっかりで効率ばっかり優先してても、いつか近道なんてない一本道でとたんにボロを出します。自分の力量だけがすべての場になると、自分の弱点を隠せなくなるから。

上へ

伸びて伸びて、いつか伸び終わりがあるとしたら、折れる時だろうか。
そうだとしたら、常に昨日の自分よりは伸びていたい。
何があっても折れない心が欲しい。

先が見えてきても、先になにがあるかわからなくても、結局伸びることしかできないんだから。
何も考えずにひとつのことに打ち込めるってのはなによりも幸せだ。集中するってのは素晴らしい。
継続ってのは偉大だ。

2010年6月21日 (月)

アイロニー

耳かきしたい・・・
作業がたまってるわけじゃないんですがやれることの自由度が上がりすぎてて逆に生産性を落としているような・・・、妙なスパイラルに陥っております。
全体的な調子はとてもいいんだけどね。最近すごくワクワクしております。ワクワクってなんだ、なんだかすごい語感だよね。ワクをワクするみたいな。


本当に、やり始めたら一気に進むのだけれど手につけるまでに時間がかかるという難儀な性格です。
わかってるんならやれよってことですよね。きっと、みんなそう思っているけどね。
できるできないの主観的なクオリティは、マルチタスクじゃ絶対に成し得ないと思うんですよ。
"別名で保存"や"アンドゥ"で、完成したものをやり戻せないから、できてしまえばそれなりに納得してしまうのが怖いのです。

相対的な意味で皮肉を言うと、人生は納得の繰り返しです。

2010年6月12日 (土)

引き金は多い方がいい

税抜きとか税込みとかそんなの気にしないで買物をするようになった自分をふと思い出して。子供の頃、馬鹿みたいなローテーションで買っていたお菓子をどんな気持ちで眺めていくんだろう。
その頃考えていたことなんて残っていないものほど曖昧で、もったいないなぁと思うんですよ。ある程度解釈されていないままの感情が溜まってきて、いつか自分のプールを満タンにするんだろうな。誰かが見張っているわけでもない水量は、自分の推量でしかない。

開けずに置いてある缶コーヒー。
書き溜めた言葉。
スタンバイ状態のまま光々と規則的に変化するスクリーンセイバー。

夜と朝の境界線で意識を飛ばしながらまどろんでいる時間帯が好きだ。
どこに自分があるのかなんてどうでもよくて、出力できない物はためずに消してしまうような効率的な考え方が出来ないのは、何かをしたいとかじゃなくて、ただ無駄にしたくないだけ。今がいちばん大切だから。

記憶だけじゃなく、脳裏に焼き付くその時の感じた味、匂い、感触、音が今の自分を作ってるんだな。ありがたい。

2010年6月10日 (木)

偶偶

偶然と必然があるとしたら、それはどちらでもないでしょう。
そう思えばそれは事実だから。僕らにできることはもうそれをどう捉えるかの問題。
想うことは簡単なのに、想ってもらうことはこんなにも難しい。

だから、繋がりが嬉しいのですよ。
何ミリでもいいから違いがわかるほどに。
偶偶(たまたま)でもいいから偶然と偶然が重なっていれば必然性は生まれるはず。

2010年6月 4日 (金)

前のめりに死ぬということ

子供のころ、"自分がいつか死ぬ"ということに途方も無く怯えて夜も眠れなくなったことがある。
"死"そのものが怖いのではなくて、本当に怖いのは"死が訪れるかもしれないという(受け入れなければいけない) 状況に自分が立たされたとき"だ。

ある仏教の教えで、「生きているというだけで苦だ」とする言葉がある。
ならば人生には真正面から立ち向かうべきではない。

鈍く死を意識しながらゆっくりと生を消化していくべきだ。
じんじんと。じわりじわりと。極論、みんな最期があるんだから。
等しく死への歩みを止めることは出来ないが、生の歩幅を変えることはできる。

知覚剥離

狭間
見えていると思って進んでる道が、時々薄ぼんやりとしてくるけど、なんども振り返っては自分の今いる道を確認している。それでいいんだと思う。
どっちみちどの方向に進んでも、一生に一回にするつもりだから。
とことん考えるべきだし、とことん疑うべき。


安全なルートだと思い込んで考えなくなること、自ら薄ぼんやりしているその意識に"気づこうとしない"方が遥かに恐ろしい。なんとも薄っぺらい狭間を歩いていることにもっと早くに自覚すべきだ。

何を信じていいかわからなくなったら自分が決めてきた道を振り返ってみようと思う。
しっかりと踏みしめてきた足跡を。

2010年3月30日 (火)

Colors

色色
十人十色という言葉があるけれど、一人の人間を表すのに"一色"では少なすぎると思う。一人十色でもまだ少ない。
アメーバのように変化する感情を色々なカタチで成立するように見せられれば、それは表現者として大きな武器になる。


もちろん、一貫して筋を通した上で自然に成立させなければいけないが。
台本上のキャラクターを表すときに、わかりやすくするために色を強調するのは有効だが、色を限定する必要はないと思う。

2010年3月28日 (日)

深観 (じんかん)

人間
「人間」という言葉はどうして「人」単体ではなく、「間」という字が入るのだろう。
動物である学名「ヒト」ではなく「間」が入ることによって「人間」になる。
「間」を読み、理解する「人」が「人間」ということだろうか。確かに無言の「間」を使ってコミュニケーションを取れるのは「人間」だけだ。何もない空間や時間に「間」という意味を持たせられるのは「人間」だけだと思う。

「人」と「人」の間 (あいだ)に「間」が入ることによって「人間」となる。繋がりを強く意識した文化を形成している生き物。それが人間足らしめるものだとしたら、言語という音による「間」意外にも、様々な意味を付加した「間」が存在するはず。表情や行動による「間」、考えを持たないボールのような、ただの物にすら演出によって「間」を使い表現することができる。

芝居においても、台本の字面を表す以上に行間の芝居によってより深い意味を持たせることができる。
小説などのテキストにも「間」を使った表現は多くある。
ボクら役者は「人間」相手に「人間」を演じるのだから、「間」の可能性をもっと深く捉えていきたい。

ちなみに、この「間」が抜けるとマヌケになります。

2010年3月19日 (金)

フロクシノーシナイヒリパイリフィケーション

時計
考えに解が得られないのならまとまってから動けばいい。
それでも動かざるをえない場合は、感情を置き去りにするほかないわけだけど、この社会は生きていく上では大なり小なり感情を押し殺す必要が、多々ある。人間関係というものに付いて回る"建前"の逃げ口上をうまく自分に落としこんでいくかがポイントで、それにかかるストレスとリスクは自分の中でしっかりと留めておける許容値を持っていなければやっていけるわけがない。
そのようにままならない自分を晒して恒常化し、それに甘んじてしまうのだけは避けたい。


距離感とテンションを保てるのが一番いい。
痛くも痒くもないから。

自分が"世界で一番重要"だと考えていることは相手にとってもそうとは限らない。

2010年3月18日 (木)

覚えて悟る

自分の稽古ができないからか、やけに体力が余る。久しぶりに動いた気がするけど、なんとなく余裕がない。気がする。
動いたらいくらかマシにはなったけども。

まだまだ構築する時期じゃないし、そこにとらわれてイメージを固めしまうのがなにより怖い。柔軟に対応できるように今はどちらの足にもフラットに重心を乗せていようと思う。
ただ単に知らなかったのと、ただ単にやらなかったのはほぼ同じなわけで。
覚悟を。

2010年3月15日 (月)

T-Spin

やっていることは間違いじゃないのに、間違っていないはずなのに、絶対的な力量が追いつかない。肩透かしで突き抜けりゃまだ流れがあるだけいいけども、空気を止めてまで冒険するほどのギアがまだ見つけられない。

ゆっくり土台を固めるというよりもテトリスのように落ちてくるピースを的確に整理していくだけ。

正解かどうかは分からないけど、
間違いじゃないだけいい。

2010年3月14日 (日)

カナメ

必要な分だけを投げてやればいい。
少ないのならば球種を絞ってやればいい。

大事なのは投げたタマではなく、相手に届いたタマ。
自分のコントロールを過信して、投げた分だけ届いていると思い込むのは論外。

2010年3月 9日 (火)

洗面所の電気がチカチカしている

自分に必要なことと相手に必要なことは、違う。
できることとできないことが分かっているだけに、いくらかは割り切れるけども、現状"できないこと"の方が多すぎて多少歯痒い部分もある。
まぁ、わかりやすくいうと、

「ある場所の電球が切れかけていてとても不便だけど、家の人が誰も換えようとしないので、勝手に我慢比べ大会に突入」

てことですよね。

2010年3月 7日 (日)

結果よりも過程。感情よりも解釈。

考え悩むことは常日頃、生きていれば大なり小なり誰にでもある。人間だもの。ボクたち、"考える葦"だもの。
一番の問題は、そんな悩み事に直面したときに、その"処理をどうするか"よりも、"どう納得するか"です。
それは簡単。
事実と解釈を切り分けて考えること、まずはそれをするべき。
すると、悩み事のかなり多くが「解釈」側のものだとわかると思います。

踏み込めていた領域を、ふとしたことで踏み外してしまった場合、足りないものを後悔するよりも、踏み込めなかった理由を分析しましょうと。そして、余裕があれば自分を見つめなおしましょうと。状況は、自分が考えているほど最悪じゃないよ、と。

解釈するに、「これが良かった」とは言わないけど、「これで良かった」んだと思える結果。
多少、矛盾してはいるけれど。
なんだかんだでまた一歩。

2010年3月 6日 (土)

浮遊感

ゆっくりゆっくりと、確実に時間という歩を踏みしめながら、
自らをバカに晒す毎日。
少し前の自分と今の自分を比較すること自体に矛盾を感じながらも、
やってくる同じ季節にまた足を踏み入れます。

環境を気にするよりも、自分を認めさせることに何かを費やすよりも、
まずは今いる位置をひとつの枠に納めなくては。まずは納まらなくては。

それが先に進むための最善の行動だとしたら、
ボクはあらゆる矛盾を含んで行動している。

2010年3月 4日 (木)

ネーム・コーリング

ようやく動きがありましたね。
動きましたね。

まだまだ暗中模索の真っ最中ですけど、ゆっくり温めて行きたいと思います。
自分を理解した上で言うけども、ボクは誰よりも自分のことがわかっていない。
わかりたくない。
みんなが貼ったイメージ通りに動くことはとても居心地がいいものだけど、簡単に底を見られて結果自分の振り幅を狭めてる。

そう考えると、今が一番振れるとき。
壊すもなにも、ボクはまだなんにも創ってないじゃないか。

2010年3月 1日 (月)

昇れ昇れ

上へ上へ
どこまで行ってもどこまで行ってもプレイヤー。動いていたい。
どんな立ち位置だろうと、どこに向かっていようと結局は自分と向き合い続ける。

それでもそれを評価するのは見ている人。
自分じゃない。
できることはお見せするその時まで、とことん登ること。
上へ上へ。

2010年2月11日 (木)

理論値

100%完璧なエンターテインメントなんて存在しない。

ただ、誰が見ても感動するストーリーと笑いが散りばめられていて、万人がうなる伏線と、それを魅せきることのできる狙い通りの芝居ができる役者が完全にフルキャストで揃えばできる。

つまり、できないってことだ。

2010年2月 8日 (月)

セルフリミット

一人歩きでいいと思ってました
一歩進んでまた一歩。
少しずつ歩を進めて、どこを目指しているかもわからずに小さい目標点ばっかり立てて達成目指して歩き続けます。


自分に頂上は見えてるのかなぁ。
先を見てくれる人がいるのかなぁ。

なくてもいいと思ってたものだけど、それ以外の選択肢もいっぱいあるんだと思う。
最初から最後まで"自分次第"だと思ってたけど、それだけじゃないということに気付かされた。
価値観がぶっ壊れるくらい衝撃的なこと。まだわからないけど、ずっと引っかかっていたものがしっかり外れるかもしれません。
大切に膨らませて、形にしたい。

2010年1月25日 (月)

後出しジャンケン

相手の手を見てからこちらの手を決める。
この行為は状況を柔軟に操作でき、こちらの有利にも、必要とあらば不利にも働かせることができてしまう。しかし、"待ち"しかできないのでいわゆるカウンター対策のみになってしまうので、対処がパターン化してしまう可能性がある。

最善の手を繰り返すのが最善だとは思わないし、過去にあった物事に対してのすべてを良いか悪いかだけで判断できてしまうなら、薄っぺらくてつまらない人間になるんだろうな。
今繰り出した手を最善に変える努力をしないといけない時もある。

噛まずに飲み込む

生きていく上で"不安"がたくさんあります。そのくらい不安定なイキモノです。
漠然とした大きな不安は、大きすぎてピンとこなくて、なんとなく漂う焦燥感に身を任せてその時が来るまで出もしない解法を模索し続けています。そう見せないように必死だけど、立てないなりにもがいてます。

そのたびに小さい不安と戦って、自分のどこかを誤魔化してる。
ただ、目の前に立ち向かえる不安があるうちは、もがいてもがいて出てくるものを搾り出したい。吐き出さないで飲み込みたい。

2010年1月13日 (水)

価値観という檻の中で

結果だけじゃないけどネ

本気を出して挑戦する」ことと、「本気を出さないで挑戦すらしない」こと。
さらに、「挑戦しておいて本気を出さない」という選択肢がある。
どちらの場合でも、大抵の場合"結果が全て"に違いないんだけど、そこまでのプロセスについてきちんと整理しておくという考え方は非常に重要だと思う。言ったもん勝ちの思考では浅すぎて先がない。


しかし、そういった言葉遊びばかりに囚われていると、あらゆる意味で予防線を張るのがうまくなってしまう。これも考えものではある。ある一定の結果が出るまでは、本質は見抜くのではなく自分の中に留めておくべきか。
それぞれの解釈がある世界だからこそ、尚更その目が必要になってくる。

時には自分を納得させる手段すらも必要なのかもしれない。

2010年1月 7日 (木)

演技をする動物

檻のこっち側
"演技"とは、自分を見せるんじゃなくて、演じている技を見せることなんですよ。
なので、表現している自分をどこか檻の外から眺めていられるくらいの余裕と、その檻をぶち破ってしまうくらいの突き抜けたセンスでモノを創っていたいんですよボクは。


しかしですね、ボクが思う優れている表現者の本当に素晴らしい点は、その瞬間のずば抜けたセンスよりも、そのクオリティを保ち続けることなんですよね。
それは、一番大切なことではないけれども、本当に必要なことだと思います。
意識の置き方次第では檻のどっち側でも関係ないはず。

ボクは、演技をする動物になりたいです。

2009年12月21日 (月)

感情のオプション

落ち着いて考えよう
いらんことを付け足すってことは少なからず他意が入るって事で、それを意識してるのかわからないけども、わざわざ付け足してくる人はわかってやっているんだろうな。そもそもそれがどういう意味で向けられているのかも、ほとんどの人は人生経験上だいたい判断できるわけだし。
それに気づかないのは逆に相手にとって脅威かも。

そう考えると、たとえ悪意として取れる行為さえ、相手にのことを考えているんだろうなと思えてくる。わざわざこう言ったらこう感じるだろうなと考えて発信してくるわけで、そんな相手を想像するとかわいいものだ。

本当に怖いのは引っかかることさえできないくらいに、関心がなくなること。
水と油になるくらいならまだドリンクバーのミックスジュースにされたほうがいい。

2009年12月20日 (日)

本人以外はみな笑顔

新宿駅

小田急線の代々木上原(新宿の1駅前)で、席の譲り合いを見た。
若者がお年寄りに、
「おれ、新宿なんで大丈夫っすよ」(`・ω・´)キリッ
と言って譲っていた。

かっこいいけど・・・次は終点なんで、みんな新宿だゼ。

お年寄りは少し戸惑っていましたが、笑顔で席に座っておりました。
譲った本人以外はみな笑顔。微笑ましい瞬間。

2009年12月17日 (木)

穴を通す

穴
アナアナアナ。穴だらけです。
毛穴も含めてこの身体に穴がいくつあるかわかりませんが、精神的な穴のうちいくつかの大事な穴を閉じてしまうところでした。

これ以上開けてくれとは言わないけども、その前に自分の穴をもう一度よく見直していきたいと思います。
時間があるうちに。
えらく風通しのいい精神力でもう少しじっくりと。
この穴のフィルターを通ってくるのは、針の穴を通す糸なんかよりもよっぽど大変。
通過してその先に行くまでの途中に詰まってるものが結構あるからね。
これが、思ったよりもずっと分厚い。

2009年12月 8日 (火)

リングワンダリング

周りの人に欺瞞的に接している人間は、結果として自分に対しての嘘に長けている。
何回にも分けて嘘を演出するわけだ。自分を使って。
作・演出・主演だけでなく、観客も自分なわけだ。

自分をすり減らして、緩やかに傷をつけていっているだけ。
頭が良いんじゃなくて、回転が速いんじゃなくて、ただ慣れているだけ。


止まると死んじゃう回遊魚のようなもの。

問題があるとすれば、本人がそのことを把握しているかしていないかでボクの対応が大きく異なる点。

2009年12月 7日 (月)

ムジナ

もっとズル賢ければどんなに楽だろう。

でもみんなが本当にズル賢くなったら
"ズルイ"なんて言葉の概念がなくなっちゃうから、
みんなが他人と比べてズル賢いと思えるように
せめてボクだけでもこの概念を守るとするよ。

ズル賢さを死守するよ。

2009年12月 2日 (水)

ツキ待ち

夜空に浮かぶ満月を眺めながら、その眩しさに驚いてました。
何度も何度も見ているのに。こんなにも明るかったかと思うほど。

月が無ければ、対象物が何も見えない暗闇に、
ゆっくり動いている雲やその高さをただじっと見ている。
自分との距離を測ってる。

満月が明るすぎると周りの星がかすんでしまうよ。

2009年11月25日 (水)

サマーナイト

夏の夜に聴いた曲を耳にして、自分を取り巻く外側の気温と内側の温度差を推し量る。
耳から感じられる温度がなんとも新鮮で、そのまま白くなりかけた息を眺めていた。

これから先、日の長さが何回変わっても、何も考えずに眺めていたい。
この角度で。この距離で。

ああ、今年もセミが鳴いてたっけ。
耳から聞こえる夏の夜。

鮮やかなサヨナラの面影

「私は振られるよりも振るほうがいい」

ボクは振られたほうがいい。
ふと思い出すと、そんなところで合うと思って複雑な気分になった。

一番弱いのは自分だってことに早く気づけ。

2009年11月15日 (日)

弱者を簡単に葬る方法

本当に追い詰められ、やることが無くなったネズミは猫にすら立ち向かってくるので、
わざと逃げ道を用意してやるといい。
するとネズミは、「逃げられるかも」というかすかな希望により、
身をひるがえして反撃に出ようなどという思考には絶対にたどり着かなくなる。

希望に殺されるという例。

2009年11月13日 (金)

思いたいと思う

ゆっくりと口の中のアメが解けていくように、時間とともに消失するんだろうか。
結局ボクが守れたのは、ボクの意志だけでキミを遠くに置くので精一杯だったんだと思う。
高校から知っているキミは何も変わっていなくて、変わったのはボクかもしれない。

ありがとう。
今思うと、やれることもやれたこともいっぱいあったなぁと思います。
答えは出てて、結果はまだないけど、これでよかったんだと思いたい。
自分の決めた道は間違ってない、と思いたい。
隣の人を不安にさせるのはもういやなんだ。


ああくそ。
わかっていたけど、やっぱりキツイな。

思うことばっかし。

2009年11月11日 (水)

私はあと2回変身できます

ストリーム

自分が成長したかどうかなんて最終的には他人が判断することだから、どんなことをしていたってせめて自分だけは「成長している」と思えることをしていたいよね。


でもそういうのって、大概気づかないうちに成長してたりするもんで、逆にその方が強かったりもする。だから、本気出すか出さないかなんてポイントは自分で決めてかからないでやればいい。

状況に任せて (流されて)、本気を出していたように見えるやり方ばっかりしていると、すぐに思考が裏に回る癖がつく。

全部終わった時に、その全部をひっくるめた"今"が自分の本気だったってことに気づいても、もう遅いのだから。
大概は、どのような状況下においても、本気を出さない理由はどこにもない。

2009年11月10日 (火)

焦点

ストリーム


今やれることが10個あって、
やらなくてはいけないことが100個あるとしたら。

そのうちの10個をきちんとこなす事ができるのならば、
人生の大半のことは満足にこなす事ができるだろう。

そのうちの5個を満足にこなすことができるのならば、
その人生は苦労することは少ないだろう。

ただ、

あなたがそのうちの1個しかできなかったとしても、それが全力でできたと言い切れるのであれば、
その人生が成功だったと言うことができるんだろうなぁ。
大成功ではないんだけれど。

2009年11月 9日 (月)

独り、表現者

ポツン


舞台とそこに立っているときにふと訪れる"独りの時間"がたまらなく好きだ。
あそこにいてこそ、限りなく自由で好奇心に満ち溢れているていることができるんだ。

ボクの目指している天井は限りなく広くて、時々自分すら見失いそうになりますが、もうちょっと上へ、もうちょっと上へと背伸びをしながら自分の足跡を残しています。

だからこそ、自分のことを見てくれている人をもっと意識しよう。
見せたい。見られたい。見ていられたい。
そして、できればずっと魅せていたい。

それでこそ、ホンモノの表現者なんだきっと。

2009年11月 8日 (日)

それはサーカスの綱渡り

サーカスの芸人は、綱渡りのやり方は教えられるけどバランス感覚は教えられない。
それ (センス)は、実際に綱の上を歩いてみないとわからない。

演技センスの話をしていて、すごくいい例えだと思った。
表現者として、人を笑わせるってのは綱渡りそのものだな、と。滑らないように命がけっていう。だから何でもこなせてしまう人やお笑い芸人さんのバランス感覚とかはすごいと思うわけですよ。

絶対的に、持って生まれてきたセンスの違いは、"ある"。
しかし、素材をいくらでも収集・選択できるなかで、それを扱うのは自分であって、吸収した技術をどう使うかはその人のセンス次第。
だからこそ自ら綱の上に飛び込んで行かないと、それを磨くことすらできない。

2009年11月 7日 (土)

エイの裏側が顔に見えてしょうがない人に

一緒に歯磨きするって行為は、
なんだかとてもエッチな響きがするのはボクだけでしょうか。
ただ、とても幸せな気分になれるんですよ。


他人と何かを共有するってことはある程度自分さらけ出す必要があるわけで、それは自分同様相手にとってもリスクを負うことでもあるわけで、当たり前だけど、多少なりとも信頼関係がないと成り立たないわけです。

それってすごいことじゃないですか?

いやね、別に歯磨きがそんなに恥ずかしいことだって言ってるわけじゃないんですけどね。例えばボクの場合は、個人的にそう思うだけで。
逆に、相手が無条件でリスクをさらけ出してくれている時なんかは、信頼されていると心から思えるので、その相手への想いが強いほどどうしようもなく応えたくなる。
お互いの信頼を推し量る方法なんてないんだけど、そういうことが躊躇なくできるような関係で初めて信頼っていえるんだと思う。

一緒

あ。
だからあれだな、おれの共演者はみんな幸せだな!!

2009年10月16日 (金)

草体

ミントココア

2という数字はとてもキレイだ。
しかし、3があって初めて見えてくるモノがある。


2人で見てるモノと3人で見るモノは、まったく別の思考によって分析されて、逆に個人1人1人が考えていることの方が介入しやすい。

他者から見えている自分の存在はそれだけ歪んでいるということで、"こう見られたい"というだけじゃ、その差異はどんどん広がっていくわけで。
その差を埋めるためにみんな自らを納得させる理由を持っているんだと思う。

第三者として介入し、客観的に見てみるとよくわかる。
その理由の根本がどれほど不安定なものか。

2009年9月16日 (水)

前向きに死にたい

もう冷房が必要なくなる気温と、すぐに暗くなる空。
長袖と半袖の服装が混在する街中。
店頭から消えていく花火。
いつもこの時期は静かに夏が終わっていくのを感じることのできる曖昧で少し寂しい季節の変わり目。


今年は電車の座席で迎えた誕生日という境界線を、ボクはデジタル時計の表示によって極めて曖昧に認識し、他の誰かが決めた尺度にしたがってどんどんとそれを積み重ねていってしまう。高く重なったピラミッド式の人生の優先順位が妙に強固なヒエラルキーを形成していて自分で自分を制限していく。そんな気がする。これがきっと生きる重み。


すぐに過去になるこの瞬間の思考と意識を大切にするよりも、今感じることを悔いなく生きていたい。

どれだけ足掻いても、このカレンダーの中には自分がいつか死ぬ日付があるわけで、生きるってのはある意味死ぬまでの準備をすることですから、両手をあげて喜べるわけないじゃないですか。
なにもボクは、この日を27回迎えること自体が嬉しいわけではないんです。
この日を27回も迎えさせてもらえたことが嬉しいわけで。なんだかとても嬉しいんです。


ボクが生まれた時にはボクがぎゃーぎゃー泣いていて、周りのみんなが笑っていたんでしょう。
だからボクが最後の最期を迎えるときには、できれば周りのみんなが泣いていて、ボクだけ一人で笑っていたい。


今日という日は、残りの人生の最初の一日。

2009年9月10日 (木)

価値観とか置換

時々シャッターを切ったときにカメラに収まる自分で撮ったとは思えないほど素晴らしい (と思い込んでる)写真や、ネットで拾ってきた超絶面白い (と思い込んでる)画像を、目の前にいる誰かとすぐに共有したくなる。

ある意味空気を読んでいる
写真じゃなきゃ気づかない


むしろそのために「iPod touch」だったり「PSP」だったりが欲しいとか、本気で思ってる。

この考えを、人はくだらないと思うかもしれないが、そんなくだらない写真を見せたいんだからしょうがない。

2009年9月 8日 (火)

自分を見上げる

見上げる

突き抜けるような高い高い空の下で、漠然と顔を上げて見た対象物のない風景は途方もなく広く感じて、改めて自分の小ささを気づかせてくれる。


もっと小さいころに見上げた空はこんなに広かっただろうか。
そのころは考えてもいなかったような思考がいくつもいくつもくっついてくる。
「気持ちいい」って感情だけは同じなんだけどなぁ。

漠然と、それこそボコッと出てきた感情で「悪くない」と思えるのならば、それは多分自分にとって良い事なんだと思う。
そうやって、ボクは自分を見上げてる。

2009年9月 6日 (日)

自悶自倒

出た目
お前のその中途半端でいい加減な焦りが回りにどう影響するかなんて、どーでもいいわ!! そんなん考えてて身動き取れなくなってるほうがよっぽど機械損失だわ!!
君が動かしているもののほとんどは君じゃなくても回るから。


できることは全部やりきって!!
待つんじゃなくて見せるべき。
出た目も大事だけど、最後は持ってるカードでやるしかねぇんだよ。


オレじゃなきゃなんて、思っているのはオレ一人。
片腹痛いわー!! わー!!

2009年8月31日 (月)

鳴きたいときは鳴けばいい

知り合いの無防備なPCに最新のノートン先生をぶっこんでシステムの完全スキャン。挙動がおかしい気がすると言ってたのでわさわさ脅威のウィルスが見つかるかと思ってたのにそうでもなくて、なんでかちょっとガッカリ。

ふむ。これは垢すりで出てくる垢や、小鼻シートパックで取れる角質の量を見てるときの気持ちと同じ感覚でなかろうか。
いやいや、もうちょっと掘り下げていくといくらでもあるはず。
HDD最適化やクリーンアップでいらないファイルの削除数や、それによって空いた容量、ごっそり取れたときの耳掃除、長いこと置いてあるゴキブリホイホイの成果など・・・。気にせずにいられないはず。

本来なくて良いものなのに、あるとすればしっかりと出て行った証拠が欲しい。
それを確認して初めてこの感覚は満たされるわけで、逆にデトックスできてないと気持ち悪いのはあたりまえ。
ここに、ある種の快感を感じるということは、あらゆる場面で自分から出てきたものを確認してしまうのは人間のサガのようなものなんでしょうね。


出したいもの、出せるものは感情も含めて全部出してしまえばいいと思う。
なりふりかまって溜め込むよりもよっぽどいい。
それを確認しながら理解し行えるということはあらゆる意味でポジティブな行為だと思う。

シャッター音が聞こえません

動作音も聞こえません

死ぬんだったら今がいいかなぁ。
そう思うくらい幸せな瞬間があったとしても、
その記憶をゆっくりと溶かしていく時間の流れがある。


止められないのは、生きているから。

2009年8月27日 (木)

不完全変態

世代方向

夏の終わりを感じそうな寒空の下で携帯握り締めてずっと遠くの世界を見つめてます。目の前の光の点にしか見えない真っ暗な夜景に溶け込めないので、飛べないセミの断末魔のように一生懸命叫びます。まだ生きたいまだ生きたいと。


セミの声が少なくなる時期に、目で確認できるようになるやたら多くのセミを見下して、もがく自分と対比します。
最後の低空飛行。


今ごろになって出てきたセミの幼虫が道の真ん中から動きません。

Sense of distance.

維持する意地

"一定の距離感"というやつを演出したいもんです。
ある意味ずっとそうしてました。


しかし、だ。

それは自分が痛まない方法だけど、
得られるものはがくっと減るわけです。

感情に距離と時間は関係ないから
お互いに傷つけあうわけで、
ある意味それは当たり前。


ちゃんとしたケンカができないと
4割以上損してるなぁと思います。

2009年8月25日 (火)

まだ夏休みだそうです。

世代方向

さて、未だに居酒屋で年齢確認させられるボクですが、高校生と話が合いすぎて、ふと自分の精神年齢が心配になることがあります。
しかし、実のところそこまで気にする必要もないのかも。


自分の嗜好が高校生の興味とピッタリ一致するほど局所的な話題ではなく、逆にボクのストライクゾーンが広いって訳ではないけども、ネットメディアが発達したこの現代では、アンテナを張り続ける限り、限りなくこのアンテナは広げることができるのだ。


問題というか、本当に面白いと思ってしまうのは、これらを意識しないでできてしまうこと。
こうした"ツール"としてのネットメディアの存在は距離や時間だけじゃなく世代をも軽々超えることができるんだなぁと、一回りも違う相手と話していてまじまじ感じることができました。

ツールとして使われているWebサービスや流行モノに流れる根本的な共通点は自分以外の人 (他者)との同調であって、そこに自身の発信が混じるわけだ。そのどちらもできるのである。

そんなに深く知り合っているわけでもないのに、"共通概念"を持ち合わせている者同士の会話はなんとも不思議でどこか心地いい。
きっと一昔前ではそれは、おばちゃんたちが井戸端で語る芸能人の不倫とか、親父たちのひいきする球団の勝敗であったはず。


違うのは、ボクらは文字数と情報量で会話し、価値はランキングで判断しているという点。

下4桁の微調整

ブロック崩し

4桁以上ある数字の右のほうから少しずつ変えていっても、
この状態の終わりまでに納得できる値に落ち着くのかどうか、
ボクはあまり自信がありません。


ただ個人的には、
自分と相手の数字に関しては最大限の努力をしていくつもりです。

待っててくれとは言わないから、
心にぽっかり穴を開けておいてください。

2009年8月24日 (月)

画面メモ

見え方

交差している点が何個もあって、
考えれば考えるほど
同じことをしている。


まだまだ埋めれらない部分を
いくつも抱えている。


だけど

ペットボトルの飲み方、
手を振り歩く速度や歩幅、
息の仕方や呼吸のリズム、
すこし思考しているときの瞬きの回数やテンポ、
笑う直前の口元の緩み。

本人も気にしていない部分を
いくつも知っている。

2009年8月19日 (水)

乱暴に言うと

ボクがこれからやろうとしていることは、
ハイヒールを履いて
「富士山登ってみるかー」
って言ってるようなもの。


行ってるんではなく、
言ってるだけ。

2009年8月18日 (火)

なんでも、楽しめれば無敵。

ぼくが一生懸命に怒っている芝居をするよりも、
"いろはす"を一人無言で搾ったほうが
怒っているように見える不思議。

表現は奥が深い。

間違ってないと思えること

まぁ、なんだ。
結局は言いたいことの3割くらいしか伝わらない。
そんなもんだよいつも。いつも。

だからボクはいつでも100パーセント以上で伝えよう。

たとえ暑苦しくても、
見苦しくても、
無様だろうとも、
そうしようとするべきだ。

余力を残して反省なんてしたくない。
だからこそ、今生きてるんだと思った。

昨日と明日の真ん中で

覚えてるかな。

「懐かしいね」
なんて言って思い出すくらいがちょうどいいんだろう。

だからその日のために、
今吐き出した言葉を
どちらかが忘れるまで覚えていよう。

2009年8月17日 (月)

あと5分。

全部飲み込んで繋がっていたい。
なにも考えないで。できればずっと。

君から流れ出てくるものを止められなくて、
代わりに流してあげられないボクはひどく傷ついていて、
鈍感なフリをする。

ボクがなにかを守ることで君を傷つけたのなら、
そんな自分が嫌になる。
ただ少し、寂しいだけ。


自分ですら分かっていないこの心を、
君は必死に理解してくれようとしている。

2009年8月16日 (日)

人を思うと書いて「偲」

空の見えないビアガーデンで生暖かいウーロンハイを飲みながら、
同じ空を見ようとしてた。

もっと話せばよかった。
もっと笑えばよかった。
もっと泣けばよかった。

今見てる空は違うのかな。
同じだといいな。
こっちから見る月はずいぶん輝いてますよ。

2009年8月11日 (火)

隣の芝生

軸を柔軟に動かせるフットワークを持ってるやつはとってもいいと思う。
概念を固定してしまって頑固になるよりよっぽどいい。


軸が決してブレないで自分を持ってるやつはとってもいいと思う。
その場しのぎのどっちつかずで、やっていることを見失うよりよっぽどいい。

2009年8月 8日 (土)

スキル振り分け

分岐

人にはやれることとやれないことがあって、
ボクはやれないことをやれるように見せかける技術ばかり覚えてきたけど、
やれることを深くやりこむ方が結果、楽な場合もあると気づいた。

気になることが少しばかり人より多かっただけ。
できれば残りの時間で全部やりたいと思ってしまう。

積み上がっていくのは中途半端でイビツな破片ばかり。
どちらにしても、平均点がとれません。

2009年8月 7日 (金)

グローブなしのキャッチボール

すきだすきだー!
って叫びたい。

辺り構わず自分勝手に投げっぱなしの
思いっ切りの速球で。

変化球が投げられないからサインもいらないし、
そもそもキャッチャーなんて必要ない。

コントロールも周りの状況も、
なにも気にず、
投げられるんならいくらでも。
返球なしのキャッチボール。
手元のボールが尽きるまで。


すきだーすきだーすきだー!

2009年8月 6日 (木)

棚に上げる想い

もうやめよう。元に戻そう。
残酷な応えでゆっくりと自分を締め付けていき、じきに身動きがとれなくなってくる。
自分が自分じゃなくなってしまう。

何もかも一旦リセットして元に戻そう。


健康診断で抜かれた血のおかげで、
まったく眠った覚えの無い頭がようやくスッキリしてきた午前中。

で、考えてみると、普段の自分の身勝手さに辟易してしまった午後一番。
すこし考えれば、どれだけ生かされているかを改めて認識できた。


もうそんな機会は無いだろうけど、
もっともっと素直に、
正直に応えようと思う。


ただ、何も無かったかのように綺麗に元に戻すことは出来ないということ。
時間をさかのぼるように巻き戻すことが出来ればいい。
やめるなんて簡単に言えることを難しく考えて、
いつか終わらせられるのを待つことに何の意味があるのだろう。


棚に上げたままで終わらせるのは無理。
おそらく、
もうそんな機会はないだろうけど。


恐ろしいくらいに時間が無い。
腕に固定された保護ガーゼと一緒に、
全部取っ払ってしまいたくなる。

2009年8月 4日 (火)

伸びてきたと感じる長さで

伸びてきた

自分の芝居を、
出きることと出来ないことで
分けたくない。

だからキャスト決めの本読みは大好き。

「不器用ですから」
で片付けられるほど器用じゃあない。

2009年7月31日 (金)

ナメクジと塩

それは、梅雨入り直後の鬱陶しい湿気の中で動きまわるナメクジのようにまとわりついていた思考で、約1ヶ月間ボクの右脳の片隅を支配していました。

なにをするにも、なにをするにも。
自分の弱さを思い知った1ヶ月。

これでようやく、少し前のようにまた独りで立つことができるんだと思います。
進もう。前に進もう。

2009年7月29日 (水)

中途半端なエゴイズム

方向キー
昔は白か黒、0か1で割り切れていたのに、そうして来たのに。
そうはできない事柄が増えて行くってことが年をとるってことなのかな。


0と1の間にたくさんの妥協点がある。
それを許容して行くってことが大人になるってことなのかな。

自分のやっていることが矛盾だらけで嫌になる。
それを許容できない未熟さも嫌になる。


絶対に答えが出ない問題を、
自分のわがままだけで先延ばしにしている。
縛りつけているとわかっていながら動けない。
年をとった子供だな。

いっそのこと、終わらせられたらどんなに楽か。
そうやって身勝手に想像しながら妥協点を探しているだけ。


無責任に嘘をつければどんなに楽か。
ごめんの数が増えてばかり。

2009年7月27日 (月)

extension

ありがたいことに、あげたはずの"物"が半分返ってきた。
まったく想定していなかっただけに嬉しかった。予想以上に。


しかしこちらは、これまたありがたいことにそれ以上のモノを既にもらっているんだよね。


自分ができることは限られてて、ゆっくりで、本当にちょいとずつかもしれないけども、それ以上の"モノ"で返したい。例え、延長したとしても。

2009年7月22日 (水)

コンクリフト

考えても結果が出ないので、ひとまず考えるのをやめた。

もーいいやって思えることがそれほど無い。
なんて不器用な性格なんだ。

顔を合わせちゃえば漠然としたままの気持ちは吹き飛ぶのに。
言い訳やネガティブな逃げ道を用意する、自分へのダメージを抑えるような考え方はもういいや。

2009年7月17日 (金)

つぼみ

花
全ての花は等しく枯れるけど、咲く花と咲かない花はある。


再演に望むということにずっと悶々と考えてきたが、ここにきて答えを出そうとするのを諦めた。
ただ、納得したわけではなく、自分の中でモヤモヤと必死にもがいて分かった (つもりになった)のは、道を知っているということと実際にそこを歩くこということはまったくの別物だということ。
どんな馬鹿げた考えでも、行動を起こさないと世界は変わらないということ。

過去経験してきた芝居から学んで、今悩んで、これから得られる成長を期待しよう。
今一番大事なのは、何を演じたかではなくて、どうやって演じたかということ。

2009年7月16日 (木)

ちょっと気が遠くなる

Red

やりたいことや、したいことを一つ一つ並べていって、それら全てを自分の納得するまで消化していくには、一体どれだけの妥協が必要なんだろう。

満員電車や通勤時にすれ違う顔も覚えないような人、一人一人がそうやって独自のリストを持っていて、場合によって主人公と脇役を価値観の妥協によって演じていると考えると、ちょっと気が遠くなる。

自分の作品に取り残され。取り繕い。取り計いながら描いた人生設計はどれだけ満足できるものなんだろう。

2009年7月12日 (日)

伝わらないありがとう

「ありがとう」
これから先、ボクが生きていくうえでどれだけこの言葉を口にすればいいのか。飲み物を取ってもらっても言うくらい、とにかく途方も無い数で分からないけれど、先程こういう感情をまた相手に伝えたいと思うことがあって、やっぱり自然にそう発していました。ありがとうと。

最近感情が張り詰めていて、それを把握していないまま自分を追い込んでいるということに気づかされて、その時自分でもどうしていいかわからないままいろんな感情を垂れ流しました。そして、他者の存在にこれほど感謝したこともありません。

そんないつものありがとうよりももっともっと上のありがとう、「すっごいありがとう」を伝えたいけど、その感情を表現する語彙を持ち合わせいていないボクはとても歯痒い気持ちになりました。

言葉にするとありがとう。
たった5文字で終わっちゃうあっけない言葉だけど、言いそびれたくないから思ったときには必ず相手にそう言おうと思います。
ありがとうありがとう。

少なくとも、ありがとうって言える相手がいるということは、こんなにも幸せなんだということ。
その何気ない発言や行動で、どれだけ楽になったことか。
自分でもびっくりしたよばか。本当にありがとう。



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2009年7月10日 (金)

バカヤローバカヤロー

どうして嬉しそうに本番中のネタを見せに来ますかバカヤロー
どうして関係ない役のオレに意見を聞きに来ますかバカヤロー
どうしてみんなと飲みに行きたいとオレを通して言いますかバカヤロー
どうして自分が体調悪い時は断固として大丈夫だと言い張りますかバカヤロー
おまけにもって「亡くなった」ってなんですかバカヤロー
どうしてオールに付き合うときはいつもオレの動向を気にしますかバカヤロー
どうしていつも周りに気を使いますかバカヤロー
どうしてこんなオレなんかの言葉にいちいち喜んでるんですかバカヤロー
どうして通しの後に「今日の演技良かったです」ってこっそり伝えに来ますかバカヤロー
どうしてみんなと絶妙な距離を置こうとしますかバカヤロー
「すっげえ好きです」とか野郎に好かれても全然嬉しくないですよバカヤロー
でもそんなアツイ芝居をするお前は大好きだったよバカヤロー
いろいろ話してたけど、本音を言わせるまでには相当骨が折れるんだよバカヤロー
こっちの気持ちは無視ですかバカヤロー
いきなり実家に帰ることになったってなんですかバカヤロー
どうして最後まで打ち上げに参加できないことをみんなに隠しますかバカヤロー
もっと早く言っといてくれないと、本番中みんなで寄せ書き書いて、プレゼント企画したり大変だったよバカヤロー
それなのになんで「そういうのは恥ずかしいからいいです」とか言いますかバカヤロー
それでも、なんで泣きやがりますかバカヤロー
こっちが悪いことしてるみたいじゃないですかバカヤロー
どうして最後に見送るときに「なんか・・・正直楽になりました」って言いましたかバカヤロー
どうして「本音のところは時間経ったらまたじっくり話そうな」ってOKしますかバカヤロー
なんにも聞いてないじゃないですかバカヤロー
いきなりメールで「亡くなった」ってなんですかバカヤロー
「亡くなった」って漢字がゲシュタルト崩壊しましたよバカヤロー
結局いなくなったのは変わらないからもういないとか全然実感わかないよバカヤロー
飲みに行ったけどなんだかやたら盛り上がってて全然悲しくないですよバカヤロー
おかげで終電逃して彼女に怒られそうになりましたよバカヤロー
オールで朝から仕事とかめちゃくちゃキツイよバカヤロー
オレの芝居見て泣いたとか、いつかオレを泣かせてみせますとか言ってましたねバカヤロー
おまえの芝居ですかこれは、なんで泣かすんだよバカヤロー
仕事中何回トイレ行けばいいですかバカヤロー
クソ、ちゃんと仕事させろよバカヤロー
「新しいこと始めます」っていってオレにくれた名刺の連絡先にクレーム入れまくりますよバカヤロー
PC見ながらの仕事なのに、ディスプレイがぼやけてよく見えませんよバカヤロー

ありがとう。こういう言い方しか出来ないこの大馬鹿野郎をどっかで時々思い出してください。

2009年7月 4日 (土)

言われても言われても

小雨の新宿
梅雨の合間の曇りの日。期待もしていない雨は降りそうもない。


オールしながら語っていて、たわいのない話しと、そうでない話しをしながら時間を過ごしていると、夜明けと一緒に曖昧な境界線の中に放り出される時がある。
特に感じるのは自分から話しているとき。元々モノゴトは聞き入れてから判断する方だが、珍しく自身の出来事を振り返って話していると、いつも時間が足らなくなってしまう。

そんな、自分自身にしか分からない些細な感覚を共有しようと必死になる。
求めても返ってこないから、意味 (結果)を造りたくなってしまう。

そんな自己本位な結果は後悔するだけだって言われても、結局自分に返ってくることは分かっていても、その瞬間に感じられないと動くことが出来ない。
そう言われても言われても、その瞬間しか考えないのに。

そんな感覚よりもずっと安定した曇りの日、使いもしない傘をぶら下げて持ち歩く。

2009年7月 1日 (水)

梅雨に止まない雨と無恥

2人で飲んでるときに、お互いが知っている友達と「実は付き合ってる」とか冗談みたいに言われて、「おいおい、マイケルより驚いたよー」とか、わけの分からない例えを出してしまって、実際それくらい驚いたことを表現したかったわけなんだけど、例えが"サプライズ"じゃなくて、"ショッキング"のほうになってしまっていたなぁと、汗をかいた梅サワーをすすっていた。

むしろ「子供が出来たから」くらい言ってくれたほうが現実味が沸いてくるのにとか思いながらビニール傘を忘れてきたことに気づいていない2件目の飲み会。


昔も言ったと思うけど、それが良くないんだよ

ああそうかぁ、そうなのかなーなんて昔も同じこと思っていた自分を思い出しながら改めて言われる言葉は、当時の自分にしてみればやけに大人びた考え方だなと少し余裕を持って考えていた。


帰り際の空模様、取りに戻った傘はあまり必要なくなっていた午前1時。
気がついたら7月が勝手に始まっていた。
ショッキング!!!

2009年6月22日 (月)

つまらない話ですかそうですか

なぜかネット (特に日本)の中では自分の事を自嘲気味に表現しているほうが支持を得やすい傾向がある。
すぐそうやって空気を読めるフリをする。

確かに、文章だけで判別している全体像も知らないネット上の人物が自信満々で自分の事を肯定ばかりしていてもあまりいい気はしない。というかそういう人物はネット上に山ほど存在しているのだが、支持を得ていないのも事実であり、これが、自虐を扱う一番の理由だろう。自虐史観も悪くないと思える。

たとえば、mixi日記のタイトルに自分で「今日面白かった事」と書いている物と「つまらない独り言・・・」と書いているものがあれば、「つまらない」と書かれた日記の方がクリックしたくなるはず。
この場合、「付き合いました」とか「フラれました」、「告白しました」など、いわゆる圧倒的に興味を引くことができる踏まれやすいタイトルで釣るのとはまったく意味が違うのであしからず。


手っ取り早く他者を共感させるためには自虐を使えばいいということになる。
つまりこれは、とりあえず下手に出ておけば間違いないという日本文化に即した考え方だといえる。
所詮、支持を得て形成されるコミュニティ上では味方を付けてしまったほうが圧倒的に有利だからだ。
数の持つチカラは絶対的な尺度であり、ネット上でもこれは当てはまるんだと思う。
こうして垂れ流す生産性の無いような独り言も、見られなければそれこそ意味が無いんだから。

いい意味で"媚びる"事が出来るヒトは強い。

2009年6月21日 (日)

梅雨に付けたエアコン

ある条件下においてのみ、梅雨に降る雨は嫌いじゃない。

雨の日の静かな部屋。
見上げる天井。感触。温度。変な緊張と安堵が入り交じった不思議な感覚。妥協ではなく、雨を懐柔している時間。

雨音だけが聞こえる部屋の中で、外の世界から取り残される空間がたまらなく好きだ。
あっという間に時間が経ってしまって、"今日"という単位があっという間に終わってしまう。
ちなみにボクのこの感覚を知っているヒトは本当にごく一部。


今日一日、とても贅沢な時間の使い方をしたんだよね。
自分の行為を正当化するつもりはないし、後悔してはいないけど、そういう自分本意の考え方が本気でずるいと思う。ただ、それだけ本気だったからか、嘘がないのが救いかな。
そのことをずっと独りで考えて、1日終わっちゃったみたいな。

でも、こういう時間が大好きだったんだよなあ、"昔の自分"は。


ああ、やっぱりこういう日はいつも雨だった気がする。
忘れられないからよほど印象に残っているんだな。
結局飲み過ぎたアルコールのおかげで朝からポーッとしていたけれど、今日の天気は絶対に忘れないんだろうな。

2009年6月11日 (木)

見せ方と魅せ方

芝居とかで役者に許される (与えられる)表現って、脚本や演出によって決められたことを、お客さんにしっかりと"カタチにして届ける"というのが大前提。
だけど、これをもっと突き詰めていくと、ボクらのやる「表現」ってのは"見えない何かをカタチにする"作業。

一方通行

空気を読むんじゃなくて創る側。

2009年6月 6日 (土)

How to make stereotype.

彼の見る風景
物事を判断するときに、どちらか一方的に決め付けて考えるヒトは、人生の約半分を損していると思う。
ワンサイドカットだけで物事を見るということは、もう一方の可能性を排除してしまうということで、それは、ある種のマイノリティに属する意見や柔軟な考え方を妨げてしまうということ。

ワンサイドカットは選択手段として用いるべきであって、どちらかをカットしなくてはいけないときは
"選択"という手段を取ったとしても、その存在の可能性を残しておくべきだろう。

なぜなら、自分の選んだほうが正解とは限らないからだ。
わざわざ、自分の選択していない方に流れる圧倒的物量のありとあらゆる有益な情報や可能性をみずから排除し、絶つ必要は無い。


ただ、何かを主張するときは断定的に論じたほうが安心感があるし、可能性を排除して視野を狭めていけば自分から考える事はどんどん減っていくので、あらゆる可能性にアンテナを張り巡らす生き方よりも遥かに楽だ。

こうしてステレオタイプは作られるのだ。と決め付けてみる。

2009年5月24日 (日)

突き詰める

ひとつの事柄をどんなにを極めようとしても、それについての造詣が深くなればなるほど、考えれば考えるほど遠くなる。

そろそろ新しい環境を欲している自分がいる。そういう時期なのかもしれないけど。
ただ、客観的に確立されてきているポジションの幸せさに甘えているので、そろそろ打破したい。立場的にもまだまだ挑戦者でいたいし、いなきゃいけない。最近味わってないからなぁ。

少しずつ上っているはずの"壁"の目標、到達点がどんどん高くなっていく。というか、遠すぎて見えない。あるはずなのに見えない。
てっぺんなんてまったく見えないので、今見上げてるものや、その壁が正しいのかすら判らなくなる。

だけど、まだこの壁には新たな発見が溢れてる。

2009年3月 5日 (木)

最高のアドバイスをスルーしない方法

無視できない意見
水泳って競技は、経験者とそうでない人の差がかなり大きいスポーツだと思うんですよ。
というかまず、経験以前に泳げる泳げないの壁があるし、選手は"何秒で泳げるか"がステータスなのに対して、そうでない人は"何メートル泳げるか"が実力を示す数字になってますよね。

だから、未経験者に「50メートル自由形は26秒だよ」とかいってもピンとこないのは当たり前で、そういう人に水泳の実力を最も効率よく伝えるには「何キロでも泳げるよ」と言うのが一番インパクトがあるはず。


普段、他人にボクが役者をやっていることを伝えると、「よく台詞覚えられますね!」と言われることが比較的多いんですが、これはプログラマに「よく英語スラスラ打ち込めますね!」とか、サッカー選手に「リフティング何回できますか?」と言うのと同じくらい斜め上の発言だったりするんですよ。

そう思ったりするのは、未経験者からの視点とボクらの観点が違うからこそ起きるのであって、当人は心のそこからすごいと思っているのだからもちろん悪い気はしません。

ただ、漫画家に面と向かって「絵上手いですね」というようなものなので、場によってはどんな顔していいかわからなくなる時もありますが。
あと、エクセルがちょっと使えたり、ショートカットキー使ってるだけでPCの達人扱いされるのだけはどうしても困ってしまいます。


しかしボクら役者は、この"観点のズレ"は絶対に無視できません。
僕らが表現しているのは、そういう人に向けて作られているのですから。そんな人たちが観て、どれだけインパクトが与えられるかが最も大事なのですし、これこそ極めて客観的な意見とも取れるわけです。
だからそういう目線での意見は非常に興味深いし、何気ない一言でも驚かされることが多々あります。

かくいうボクも、音楽やっている人に「音符読めてスゲー」とか思ってしまう人種なんですが。

まぁ自分にできないことを否定したり批判するよりは肯定しているほうがよっぽど健全なんじゃないかと思うわけです。それだけ他人の長所が見えてるって事でもありますしね。

2009年2月15日 (日)

対象を間違えないこと

自分の立ち位置を周りとの間隔で確認しながら、だんだんと基準がわからなくなっていく変な感覚。
変な余裕がいけないのか。なにがいけないのかすらもぼやけているので、今のこの余裕も、自信を削ぐのには十分すぎるほどの理由になりえる。

もっと真摯に、もっと正直に向き合わないと。
自分がやっていることは詰まるところ、ハッタリの掛け合いにすぎない。

2009年2月 4日 (水)

バカな話

歳を重ねると、わかっているようなことにいちいち驚いたり、反応したり興味を持ったフリをすることが格段に多くなった、と感じます。

それが年齢による"経験"というやつなのでしょうけど、本当に体験したいのは常に驚いたり興味を持ったりする毎日。できれば毎日そんな体験をしたいと思うわけです。できれば。

「わかっている」ということに囲まれながら過ごす毎日は、なんていうかただ同じ時間にオリに向かって中のイキモノに餌を与えるだけの観察者のような感じ。
そこに驚きや楽しみがあるとすれば、オリの中のイキモノのなんと幸せなことか。何も考えずに毎日同じ (と思っている)オリを見ている僕らの方がよっぽど惰性で動いている気がするのは気のせいでしょうか。そんなん知りませんかそうですか。


ただ、これは実際にわかっていなくとも、本人がわかっているつもりならばそう感じてしまうので非常に厄介です。だから、なんとなくバカになるくらいなら、本気でバカになってしまった方が、と思うのです。本当のバカではなく本気のバカ。

できれば毎日、そのような経験をしたいと思います。

2009年1月22日 (木)

どんなに時間を費やしたような気がしても、生み出すのは一瞬

閃けば勝ち
山積するモノゴトには順番をつけて行動するのが吉なんでしょうが、そういうふうにシステマティックに事を進めるのはどうも性に合っていない気がします、ボクは。
端からはそういう感じに見られることが多いけれどやっぱり違う、気がします。ただ単に、"システマティック"って言葉が使いたいだけって気もします。

クオリティと時間と妥協。

ボクのやっているモノゴトにはこの三すくみがずうっとつきまとってきます。
そしてそれは、ボクにとっての"グリコのおまけ"みたいに大切な気がするのです。

2008年11月28日 (金)

吐いて、吸う

吸って。
吐いて。

入れて。
出して。

自分の中に経験を積み重ねるってことは、その事柄において息を吸って吐くように、当たり前にできるように余裕を持つことである。
みんなあたりまえのように息をしているけど、意識をして呼吸をしているヒトはいない。

時に、貯めすぎた経験の重たさから身動きがとりずらくなるならば、ボクはいつまでも吸収する姿勢を保っていたい。

2008年11月20日 (木)

なるべく30分以内に服用してください

薬ってのは、
ここぞっていうときに飲むから
バシッと効果を得られるんだよ。

だから
あれこれと
しょっちゅう飲んでる奴には
あまり効き目がない。


遅刻の言い訳のようにね。

車両点検で遅延とか。完全に自爆じゃないすか!!

2008年10月20日 (月)

一種の流行り

「あまりストレスを溜めるなよ」と誰もが言われることだけど。

ストレスを溜めないようにすることがストレスになる。
今の世の中はそんな社会構造。

あなたのそれは、無責任な「ガンバレ」と何が違うのだろう。

2008年10月17日 (金)

論理的帰結

最近は、だいたい食後に缶コーヒーを飲んでるんですよボク。

今日は食後に薬を飲もうと思ってたんですが、手元に飲み物がなくて、自販機に買いに行くことにしたんですよ。
できるだけコーヒーとかお茶じゃないほうがいいだろうと思って給湯室で水を持ってくることにしたんですけど・・・、少し考えたボクは、結局給湯室には行かず、そのまま自販機で買った缶コーヒーを口に含んで薬を飲みました。


たとえ水で飲んだとしても少ししたらコーヒーが同じ場所に入ってくるんですもの。

それ以前に、ボクのおなかの中は先客のとんこつスープですでにいっぱい。

2008年10月15日 (水)

高い空

めまぐるしく季節が変わっていくのを、ふと見た満月だったり、気温の変化だったりでただ漠然と時間の流れに身を任せていることに怖さを感じることがある。


夜空を見上げるには、夜空と認識できる明るさが必要だったり。
照らされて初めて自分の位置を客観的に感じれたり。
空があるのは自分が地にいるということを認識しているから。

対象がないと見失ってしまう。


それが遅くても早くても
一番の問題点は、
問題点が見つからないということ。

2008年10月 3日 (金)

シンパシー

ココだけの話ね・・・
情報共有

この社会において、"自分で"知ることは最も重要なことである。
ただし、社会には自分が知ることよりも相手が知っていることの方がはるかに多い。

2008年10月 2日 (木)

カサブタ。

だんだんと日常生活のリズムに戻ってきて、少しずつペースを確認している自分がいる。

帰宅時間と、起床時間。
会う人たちとのコミュニケーション形態。

いつもカバンの中身を占有していた、台本とジャージのスペースがまだポカンと空いている。満員電車には乗りやすい。

テーピングとシップ。


公演中にできたかさぶたが痒くてしょうがない。
治りかけが一番気になるもんだね。

2008年8月24日 (日)

ソウタイセイ

関与したくないけれど、そうも言ってられないし。
ほとんどの問題はそういいながら解決していくんだけど、自分が立っている観測地点によってものの動きが変わって見える。

自身に対してはとてつもなくややこしいくせに、他人が外から見るぶんにはなんら問題なく見えるというやっかいな外部要因のせめぎ合い。
これは・・・、目に見えないものに抗う必要があるな。


しかしこれ、上に放り投げたボールを目を閉じてキャッチするようなもので・・・、自分次第でハードルを自由に変えてしまえるという点が、一番たちが悪い。

2008年8月19日 (火)

八月の蝉

後先考えてうじうじやってるくらいなら
今の今まで溜めてきたソレを
思い切り吐き出せばいい!!

終わったあとに残した余力の確認をして、
いったい誰が得するっていうんだ!!

2008年7月24日 (木)

三叉路

昨日からあるイベントのMCをしていまして。
時間的に拘束時間が多い仕事なので、普段の事が出来ません。

賞味期限が過ぎていく・・・。
賞味期限ってのはそれ自体過ぎることよりも、過ぎたあとの対処の方が大変だ。

あまり考えないまま日々が過ぎていくのはある意味幸せな環境なのかもしれない。
それで問題が出なければ、だが。

2008年5月30日 (金)

思考の向き

上がって下がってまた上がる。
リアルにそんな状況を体験している最近の生活。

大事なのは下がったときの考え方。なんにでも言えることだが、経験則は非常に大事だ。これを"理解している"のと"実行できている"のとでは大きな違いがあると思う。

たとえそれが失敗だとしても、それは自分にとっての知識という利益をもたらしてくれる経験則となること。
一番怖いのは、考えるのをやめてしまうことであって、それは思考停止の罠に落ちいるということに他ならない。

大事なのは失敗を体験したときの自分の考え方が「なぜ出来ないのか」ではなく、「どうしたら出来るようになるのか」を考える方がよっぽど建設的であることに気づくこと。
そして、同じ体験をしても成長に差が出るのはその人の資質の問題ではないと、一刻もはやく他人のせいにするのをやめることだ。

2008年5月24日 (土)

見にくいものを見やすくする

目薬をさすために上を向くと、普段は見ることがない天井が目に入ってくる。
違った風景が見える。

そこに"ある"、ものを見るということは物事の側面しか見えていないということ。
とらわれないで頭の中で回転させてみることだ。

天井の向こう側を想像しながら目に入った液体がこぼれないように目を閉じて、天井を見上げている自分を真下から眺められるくらい客観的な視点を持ちたい。

2008年4月15日 (火)

一番おいしいのは出し抜かれない人

本当に人を出し抜くのがうまいヤツは、「アイツは出し抜くのがうまい」と思われないヤツ。

2008年3月 8日 (土)

読めるけど書けない

一つのことに意識を集中させていると、その他の部分は排他的に処理されていることになるが、それではノイズやら揺らぎやらが入る余地は全くない。
それはつまり、ワクの中で動くロボットである。

その域を出ない。
はみ出せる余裕がない。

見えてるけど届かない。
うろ覚えの漢字みたいに、その時に直面した場合にのみ、自分の足りない部分を痛感するしかないのだから、ラインを引いては自分を守る術だけ上達していくことに慣れてしまっているのもどうかと思う。

積み上げていくだけではなく、壊して再構築する。
そこに成長がなければ、所詮自分はただのロボットでしかない。

ない。

2008年2月23日 (土)

表現の自由

役者 (自分)に与えられた"制限"を最大限に使う (利用する)。
その中で、第3者 (お客さん)に伝えたいことを"自由"に表現する。


やりたい芝居だけをやっているようじゃ、
まだまだ。

やりたい芝居しかできないようじゃ、
だめだめ。

2008年2月18日 (月)

10秒数えて這い上がろう

お湯はとっくに冷めてるんだぜ
自分の周囲を覆っている大小様々な壁をぶち壊して、そこに見えるまた一回り大きな壁もぶち壊して、だんだんと大きくなっていく世界の中で成長していく自分を実感していく。そして、自分という存在の孤独さに気づくんだ。広ければ広いほど。途方もなく寄りかかる術のない世界と自分が構築してきた空間に意味をもたせようと必死に保守に走るのは幻想の成功を認めたいから。認めさせたいのではなく、自身で認めたいから。それが一番良くわかっているから独りで楽しむように自分の世界へ入っていく。

だからこそ、今!! ああ、いい意味ではみ出していきてぇなあ。後から「アレをこうしたからよかったんですよね、今考えれば」って言えるくらい、いい意味で言ったモン勝ちの成功者になりたし。

2008年2月17日 (日)

心裏

あとはフォトショでどうにかすればいいわね
いいものはいい。
いつでもそれは真理であって、誰の評価でもなく自分がいいと思ったものを極めることがいいものを作る最短の道になるに違いない。勘違いしていなければ十中八九そうに違いない。それがいいに違いない。
そうやって思いこみ、実行した後に挫折した人は、勘違いと言われ、極めた人は達人と言われ成功者となる。

それって要するにそのジャンルのピラミッドで頂点に近い位置に達すると、周りの競争者がどんどん減っていくから注目されるってことですよね。下の階層でくすぶっていると大多数によって埋もれてしまうよ、と。
結果、バランス型は絶対的に不利であって、器用貧乏は泣きを見る。欠かせない人間にはなれるが唯一の人間にはなりえない。

ではバランス型を極めるとどうなるのか。
僕の記憶ではこれを本当の意味で極めた人間はいないし、もしいたとしても常に空気を読むのに長けた人物であることは想像に難しくない。周りを気にして自分で空気を作ることはできない人物。

いいものはいい。
それは真理であると同時にその見えないパラメーターに頼ろうとする人間の心理でもあるだろうなと思う。そうに違いない。ピラミッドの頂点から見える風景はずっと同じはず。

2008年2月14日 (木)

点Pから引いた直線における特異点

まずはあそこへ
ボクたちが今、必死になってがんばっていることの大部分は、通過点でしかないよね、って今ふとそう思った。到達点にたどり着いても生きている限りそこにはとどまることなく、次の点への線は引かれ続けるわけで。
でもそれって結局、考えるのをやめるかこの身体が朽ちて死ぬまでずっとそうなんじゃないかと。

終着点までの直線距離は分かっていてもそこに行くまでの線は決して直線じゃないから、いつどこで自分の線が途切れてもいいように。
淀みなく、力強く。できればまっすぐ。

2008年2月12日 (火)

バカに直せ

number 0125
まずは踏み込んだ。

次に振り上げた足をどこに置くかで状況は大きく変わるはず。
それを知っていながら踏み込めない。1段上ることへの興味・好奇心が畏れに変わってしまったのはいつ頃からだろう。
背が大きくなって高いところへ上らなくてもより遠くを眺められるようになったから。手足が伸びて1歩踏み込まなくても大抵のものは掴めるようになったから。ただ、どうしても手の届かない遠くのものを、諦められるほど大人にはなっていない。まだ、なっていない。

バカになろう。

ここからは、
この段からは"バカ"にならなきゃ生き残れない。

2008年2月11日 (月)

オン・ザ・カッティングボード・アゲイン

もはや自分の手の及ぶ範囲ではない場合、事の結果を待つだけの時間はひどく残酷なものだ。

となれば、もはや何をしたって結果は変わらないのだから、せめて後悔だけはしないように心を整える余裕が欲しい。
何よりも、そう考えていたほうが気が楽だもの。

自分の運命を知った魚の場合、水槽で泳ぎまわっているのも、まな板の上に運ばれるのも、どちらも生きた心地はしない。"どちらかといえば"気が楽な方で運命を待ちたがるだけであって。

2008年1月29日 (火)

1円足りない!!

ボクはレジで計329円の支払いを、100円玉3枚と10円玉3枚、5円玉1枚、そして1円玉を3枚出してから5円玉と1円玉を引っ込めるやつなんですね。

店員にしてみれば「何してんだコイツ」状態ですけど (自分でもそう思う)、でも40円出しとけば大丈夫だろうと、踏み込んでいくんですよねまず、ボクは。
わかりづらいかもしれないけど、こういう感覚。これってけっこう、その人物の本質に根付いた根本的な部分なのかもしれないとコンビニのレジでレシートをもらいながら考えるんですよ。

思考浮遊状態。

店員が会計をして商品とお釣りを僕に渡すまでの数秒間のエンペラータイム。 空白の数秒間ですが、あらゆる駆け引きが行われ、互いに思考が交錯してますよね。
ああ、そこで敢えて2,000円札を出すぐらいの余裕ある大人の対応をしてみたいボクは。

2008年1月28日 (月)

スタンドアローン

役者として活動している以外の時間で、営業・交渉の仕事をしているボクは、ありがたいことに人と接する機会が限りなく多いのです。
そこで自然と身についていたのは、"人を見る"というよりも"人を見分ける"能力のほうが重要だということでした。感覚的なことですけど。さらにはそれが仕事の成果=給料に直結してくるような仕事なので、なおさら個人の能力が求められる職業だと思う。キツイ人にはかなりキツイ。
ただし、営業に限ったことではないけれど、人生の中で「営業」のスキルを応用できる場面はあまりにも多いとも言わざるを得ない。

最近、まがいなりにも人を管理する立場になっていまして・・・よく考えるんですけど、できる人間の"効率のよさ"っていうのは物事に対してのリアクションのうまさだと思う。

自分の考えていることや思っていることをうまく変換して出力できる人は本当に仕事ができる。しかも、相手にあわせて変換形式を変えられる点がすばらしい。
もちろん、大前提として元々に本人が持ち合わせてる知識量がものをいうのはいうまでもないけど、「できる人」の代名詞である余裕があるように見える様は、実は、周りの人たちに余裕があるように振舞える人間のことなんじゃなかろうか。

2008年1月25日 (金)

ハードルが高ければ高いほど潜りやすい

何も正面から行くこともない
「二兎を追う者は一兎をも得ず」
しかし、二兎追いに行く気持ちがなければ複数の成功は絶対に得られないのだ。

いくつかの壁があって、その中でもひときわ大きなものにまぎれてひっそりと立ちそびえてるんですよ。簡単なようで分厚い分厚い精神の壁が。
一見大きな壁よりもはるかに超えがたい困難な壁が存在する。

そのハードルを越えていかなければ所詮常人。
それは"覚悟"とか"根性"とは全く別種のもので、それが生き方なんだと思う。

あの日のことを思い出すのは、今日、今のため。

2008年1月19日 (土)

口に出す資格なんて、ない

あのときの見てた風景
あったものがなくなった時より、あったものがなくなりそうなときの方が寂しさを感じる。

久しぶりに見た風景はガラリと変わっていて、知っている場所を見つけるたびにいちいち安心しながら歩き、今度この風景を見るのはいつになるだろうかと、しっかりと目に焼き付けながら何個目かの点滅している信号で立ち止まる。

また同じ風景を見たときに、自分自信が変わっていない保障はどこにもないんだから。何かを残して行きたいと無性にそう感じるのは、寒さ以外の別の感情なんだと思う。

やっぱりきっと寂しいんだろうな。うん。
本人にだけ伝わればいいと考えてしまう自分は、つくづくずるい人間だと思う。

2008年1月12日 (土)

ちゃんとやる時間はなくても、やり直す時間はいつもある。

時間はあるかと聞かれて"あるといえばある、ないといえばない"というような状況で、
「時間は作るもんなんだよバカヤロウッ!」
と、言われたときのことを思い出したボクに時間はあるんでしょうか。


"親子丼"ていうネーミング。初めて考えた人は「うまいこと言った!」と、さぞほくそ笑んだことでしょう。
鳥の親の肉とその子である卵を同時に食材として使用するという、まさに外道ともいえるこのメニューをなんとも穏やかなネーミングで包み隠してしまうという点が、天才的と言わざるを得ない。

物はいいようなのね。
いい様に解釈してもらうために。

2007年12月19日 (水)

タナに、上げる

ある程度立場が上の人というのは、下の立場の人に対して何かを言うときに自分のことを"タナ"というものに上げて話しをしなければいけないそうです。

確かに一理あるし、とても合理的です。それが仕事だと言われれば、その通りですと反対しようが無い理論ともいえます。
逆に言えば「納得せざるをえない」という時点でボクも下の立場という意味でこの説明を受けているわけですね。

ボクも今回の変化である程度、いわゆる"上の立場"の人間になるそうです。
ボクの場合、このタナそのものをどうにか下げて対応できないものかと考えます。
下とか上じゃなくて、同じフィールドを共有して接したほうがね、同じ位置から見えることもあるわけだし、今の自分には上下考えるにはまだまだ、おこがましいと思ってしまう。

2007年12月18日 (火)

ステップ・イントゥ・ザ・レイン

なんだかちょっとした変化が訪れているようです。
新しいポジションはどうやら現在よりは保守的な位置。

ああ、それは自分にとっていいのだろうか、とちょっと迷いながらもコレを書いてるときはすでに受けてしまった話なんだから、いまさらウダウダ言ってたってしょうがないんだけど。人によっては喜んで飛びつく話なわけだし。


ただ、ボクはもっとチャレンジブルで挑戦的な位置に自分を置いていかないと生きていけないような人間だと思う。

今までも知らず知らずのうちにそんな道を歩いてきたわけだし、保守的な位置というのはいわゆる泳ぐのをやめてしまったサメのような。なんだか息苦しい感じなのであります。
身体がただ、沈んでいくような生き方は避けてきたい。
これからもずっと。

とにかく、この新しい変化が自分にとってどのような化学変化をもたらすのか、もうちょっと様子を見ながら少し視野を広くしてみることにします。

2007年11月30日 (金)

"今年"が止まる前に

明日から12月が始まります。
今月は動いた週とそうでなかった週の差が大きかったなあ。

前半はから中盤にかけては物事が一気に加速して、後半は静まり返ったかのように流れが止まった。
これが"タメ"ならいいんだけどね。

そう思うと普段から自分は、そういうことが往々としてある気がする。
しかもそれが、今のように意識してない時だけどもね。

"去年"になる前に、今年のことを全力で考えよう。
真っ白な雪を踏み荒らす前に、今いる場所の足跡をちまちま埋めていく作業もいいじゃないか。

2007年11月20日 (火)

チラシの裏に書かれる存在意義

そこにあるモノは在る。
そこにないモノは無い。

"そこにないモノ"と考える意識が存在の証明であるとすると、
"そこにあるモノ"と意識が認識しなければ、
そこに在るモノは存在自体が無いモノになる道理。

"ココロ"といわれる意識を生み出している脳が存在している以上、
細胞の集合体である脳は"モノ"である。

つまり、
今、空に見えている星がキレイなのはボクが光を認識しているから。
星を見てるボクがいなければ、星はただ光を発しているだけ。

だから、冬が寒いのも、地球が丸いのも、ボクが役者をやっているのも、いつの間にやらボクの名前がウィキペディアに載ってるのも、みんながいるから。
ありがとうございます。

2007年11月19日 (月)

ひどく鈍い驚喜で侵されていく

だんだんと風が強くなってきて、周囲の流れに巻き込まれまいと少しカラダがこわばってきた。同時進行で進む物事が多くて、一歩一歩の距離感が曖昧になってくる。一方では他者との間合いも自分の意識を引きずる要因になっている。自分の時針が狂い始めている穏やかな兆候が・・・ひどく恐い。

そんなものは全て、停止して初めて気づくことであって、あたりまえだが気づいた頃にはたいてい既に解決済みだ。

先人は、「自分のやるべきことや今いる状況を客観的にを把握するためには、物事に"優先順位"をつけろ」という。
ただ、"優先する順位"と"モチベーションの順位"との間に矛盾が生じているボクはどうすればいいのだろう。

2007年11月13日 (火)

アイカワラズ

cake
書きかけのラブレター。

笑ったときの目。
困るとすぐに黙りこむ。
じっと見つめてくるときの表情。
重たくて分厚すぎるマフラー。
照れると下を向くしぐさ。
見透かされるのを嫌がる頑固でわかりやすい性格。
ウソをつくのが苦手。
安心するとすぐに眠くなる。
第三者の前では敬語になる。
電話の声でそのときの気分がわかる。
今にも転びそうな小走り。
ものすごい負けず嫌い。


物事のタイミングにこだわる性格は、自信が無いんじゃなくて後悔したくないと思っているから。
逃げてたんじゃなくて、進むことを保留にしておいただけ。
だから、たとえこの決断が間違っていても、後悔だけは絶対にしないと断言できる。

ありがとう、見ててくれて。
相変わらず、これからもよろしくお願いします。

アイ変わらず、これからもやっていくつもりです。

2007年11月 1日 (木)

表裏

空とくもと太陽と
自分の「幸福」を主張するのならば、そこにある「不幸」もありのままに受け入れるべきだ。

真実を語るのは実にむずかしい。
がしかし、だからといって嘘をつく必要はない。
嘘をつくのはもっとむずかしいのだから。

2007年10月31日 (水)

KY

時々ピタッと止む
いつか止む雨ならば、寝静まっているこの夜に降りきってくれればいいのに。

相手にとっての重要なタイミングを推し量りながら、今の自分にとってどれだけメリットがあるのかを計算している。ひどく冷静に。

雨の音を聞きながらいつもよりも開放的になれるのは、この自分の空間だけが孤立したような錯覚に陥るからだ。今のうちに、この時間内ですべて消化してしまいたい。できることは限られているのだから。

伸び切った爪を切り揃えながら、寝る前の頭で小さな欠損部分を埋めていき、トライアンドエラーの修復を繰り返す。分かっているならやればいい。その雨が乾いていく空気を感じる前に。

2007年9月20日 (木)

ある意味。

真実を語るのは実にむずかしい。しかし、だからといって嘘をつく必要はない。
嘘をつくのはもっとむずかしいのだから。


人と話していて、ちょっとした話の中に駆け引きがある会話が好きだ。実があるから。反対に、実の無い会話が苦痛でしょうがない人がいる。そんなときに人は"演技"する (している)んだと思う。

これは性格なのかもしれないけれど、僕はやたらとモノゴトの裏を読みたがる。
演技しているのが分かるということは、その人のクセが読めるということ。その人のクセから裏の真意を見抜くには、芝居で人を魅了することよりもはるかに容易だ。
ただ、演じている側は表に出す真意の他にもさらに隠している部分を持っていて、それを観ている客や、演出家、さらには共演者に対してもしばしば嘘をつく場面がある。それを駆け引きというのだが、"芝居のクセ"というのは、そこから出てきてしまった本人の本当の真意なのでは、とも思える。

2007年9月16日 (日)

100歳になるまで芝居をしていてください

もっとも尊敬している一人である役者の方が、本日25回目の誕生日をむかえたボクに言ってくれた一言です。

「100歳になるまで芝居をしていてください」

続けることが大事。これからも、留まらずに真っ直ぐに進んで行きたいと思っていますが、それを形成しているのは相対的な道標。評価であったり、競争であったり、尊敬や経験を得てそれが自分自身になっていくんだと思うと、25年という月日はまだまだ。
まだまだ、まだまだ、あまりにも短い。

ほんの20年前のボクは、大きくなれば何でもできると思っていました。
正解。大きくなって、それは正しいことが分かりました。なんでもできるしなんにでもなれる。ただ、大きくなって分かったのは、それを成すためには何が必要なのかを理解することができたことです。その道は容易なのか困難なのか、自分で選ぶことができることを知りました。

何を持って"成す"とするのかは今は漠然としていて分かりませんが、ボクが尊敬している人と同じくらいの歳になったら少しは見えてくるものもあるのかなと、期待しながら大きくなっていきたいです。
そして、100歳になったときには、役作りで悩んでいたい。


ちなみに、感動していて言葉がなかったボクからとっさに出た返事は「ボクが100歳になったらまた共演してください」でした。胸がいっぱいで、とにかく何か言わないと別の何かが出てきそうで危なかったのは内緒です。

2007年9月 5日 (水)

死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである

マグロが止まることは"=死"を意味します。呼吸するために一生泳ぎ続けます。

劇団ZAPPAの稽古は大変なんです。
朝からの営業のバイト終わらせてから30分くらいかけて船堀の稽古場にいくんですよ。稽古場がある"船堀駅"ってのは新宿から都営新宿線 (京王線からつながってるやつ)で30分くらい乗っていると着く本八幡のちょっと手前という場所でして、お客さんはどんどん降りていくので、たいていいつかは座れます。今日は「ワンピース」とかの単行本の発売日だから行きに買っておいて、帰りの2時間の電車内で読んだりするんですよ。
22時頃に稽古が終わって帰ると、いつも終電くらいになるし早くても終電1、2本前にしか乗れないという制限時間付きの毎日。マリオか! 船堀駅を23:09発の新宿行きに乗らないとアウトです。大変です。

でも、稽古が楽しすぎてテンション上がってるとそんなことどうでも良くなっちゃうから困る。いろんな意味で他のことがおいてけぼりになってないか注意しなくては、と自分に言い聞かせてみます。楽しんでいるだけでいいのか、と。ただ、最近はほんとに充実していて、稽古が無いときよりも活き活きしてると感じます。
今回、劇団ZAPPAへの3回目の参加ということもあってか、いつも以上にいいキャストに囲まれてやや調子に乗っている気がしてならない。そこだけ、「自重せねば」なんて終電に一人揺られているとそんなことを考えてしまう小心者な僕。地元の駅に着くまでに結論は、出ない。
別に心肺機能は関係ないが、人間である以上"成長が止まる"ということは "=死ぬ"ことと同意義。それだったら、せいぜい楽しみながら僕は死にたいものだ。

劇団ZAPPAの稽古は大変だ。
いい意味で大変な毎日。少しづつ変わっていく毎日の中で、僕が止まるまで考え続けていたいのは、「昨日よりもいい今日を」。小変よりは大変のほうがずっといい。

2007年9月 2日 (日)

6 years 8 months

契約をしてるわけでも約束をしているわけでもない。一言、「やめる」といえばやめられる関係を続けてきて思ったのは、「続ける」のはとても簡単だということ。やめる方がよっぽど大変だから。気づいてしまうと話しはもっと単純になってきて、あとは堂々巡りを繰り返す自己言及的な命題生産工場の出来上がりだ。
要は変化に恐れて毎日コンビニで同じメニューを買うようなそんな関係をだらだらと、ただ淡々と時間を数えることに重きを置いていることになんら代わり無い。

だけど、やめるのが大変だから続けてるわけじゃない。

僕が始まってもうすぐ25年目の今月は、僕らが始まってまだ7回目の9月。

2007年8月29日 (水)

センメイにシロクロ

もともとそこにあったものじゃないのに、1度でも在ることに慣れてしまうと期待して、どうしてそんなにも浮き沈むのか。
もともとそこに求めていたものとはどんどん逸れていっているのに気づきながらも、修正できずにだんだんと緩やかに傾いていく平行線を眺めながら、雲の向こうにのぞく月明かりをただぼんやりと感じている。

そんな人間いないのだろうな、自分も含めて。

薄れていく過去の中で、鮮明に覚えているのは身体のまわりを付きまとう重たくのしかかるような空気と、乾いたため息。線と点。白と黒。

2007年8月10日 (金)

隣のケーキの方が大きそう

そう考えはじめると、なんでもそういう補正でモノを見始めちまう。質か量か。妥協点をどこに置くかで物事の本質すらもボヤけているのに、まるでピントが合わないままシャッターを押し続けるさまはギャンブルのようだ。

同じ物を見ているはずなのに、自分の目が変わっていることに気付けないまま、ひたすら隣のケーキを目で食べて、てっぺんの見えない階段を1段飛ばしで登ってく。

もともと、ケーキはそんなに好きじゃない。

2007年8月 2日 (木)

天才は1%のナニカと99%の努力

ナニカをすることによってナニカが動く。
僕たちはナニカに気づかないだけで、リンゴも、エレベーターも元々そこにあったナニカ。

でも僕は、そのナニカがわからないからこそ、毎日悩み、考え、全力でもがいていられるんだなぁと思うと、1%のナニカのためにする、99%の努力は苦にならないと漠然とした毎日の中でしっかりと感じられる。

2007年7月29日 (日)

中辛カレーライス

インドカレーでも、オリジナルカレーでも、基本のカレーがつくれなきゃまるで駄目だと。

たとえば僕のカレーがどんなに美味しくても、これはライスカレーなのかカレーライスなのかすらわからないほど判別が曖昧なものだったら、味を生かす前にだよ、客に出せないんだよ。頼んだモノが来ないんだもの。

頭ん中のものを形にしていく途中で、絶品やゲテモノがどんどん積みあがっていって山ほどある中からひとつの味を選ぶ。でも、それを絶品と判断するかゲテモノと判断するかは"食べた人"だけであって、どんな形だとかどう創られたとかは本人の頭ん中のカレーライスまで。

自炊してるんじゃないんだよね。やっぱり客がいないと成立しない。


それ以前に、辛さの基準も決めてなかった自分に相当驚いた。

2007年7月22日 (日)

ホームポジション

小指が動かない
目の前にある線を、みんなの見てる前で越えていくという作業。やりきれないつもりはなくて、むしろやりきっているんだけど、それはただジブンの中だけでやりきってきたただけだと気づいたときに、初めて周りを意識して"成長"する。成長した自分に酔う、酔いしれる。そうしてるうちにまたジブンしか見えなくなってきて、周りを意識しなくなる。

多分、"やりきる"だとか"やりきれない"だとかこんな読みにくい言いまわしはどーでもいいんだ。結局この悩みは一生付きまとってきて、さんざん繰り返されて、また同じ位置にジブンが戻ってきたと錯覚することになるんだから。だけど同じ悩みの答えはなぜか毎回違い、やっと新しい答えを見つけても、それはいつか通用しなくなる。そのうちジブンの立ち位置が分からなくなってくる。
「そんなもんだよ」と何十年も前から同じことをやってるヒトに言われ、「そんなもんかなぁ」と最近だんだんわかるようになってきた。


何回も押してきた母音は、エンターキーのように鮮明に、明確に。まだ今までとの違いを見出すことは出来ないけど、押し込んだキーボードから指を離す瞬間に、だんだんと目線をあげられるようになってきた。

ジブンの成果を知るには目標物を置かないと意味が無い。ただ、今のジブンを知らないってことは意味すら残せないってことだよ。そりゃそうだ。他人の評価を持つよりも、どんな理由でもいいからまずジブンを納得させてやるべき。"ジブン ダイスキ"にならなけりゃ。

さんざん悩んで絞り出した答えは、案外近くに転がってる石ころみたいなもの。そんなもんだよ。

2007年7月17日 (火)

君と僕は何が違うのか

何が違うんだい? ん?
ペットショップのボックスの中ではしゃぐイヌやネコのしぐさを見ながら、はしゃいでいる僕らは、小窓から見えている彼らにとってどう映っているんだろうなんて、そんなことを考えながら小窓の下の数字に目をやるんだよ。

金で命を飼うのか? 金で命を買うのか?

彼らの人生の価値というものの大部分は、ゼロの多さによって生まれたときから決まっているんだけど、そんなこと気にもしないで動き回ったりはしゃいだり、とにかく忙しそうに小窓の向こうで生きている。下がることはあっても上がることはない。

透明のガラスひとつ隔てた小窓の外にいる僕ら。見られる位置で変わるのは、外か中かってだけで相対的な価値観は本人によって変化するなんだかとても不安定な世界。

2007年7月10日 (火)

マイナスとマイナスでプラスにする考え方

人生は足し算だと思ってた。

掛け算なんだってさ。
いくらチャンスがあっても君が「ゼロ」なら意味がない。

でも、ボクらがやってるこの世界では、たとえ「イチ」だとしても意味がない。

2007年7月 9日 (月)

てっぺん

自身に限界を感じるのはいくらでもけっこうだが、周りに限界を感じさせてはいけない。

見据えるのは登っている山のてっぺん。他人の山を見ててもしょうがないだろう。

2007年6月27日 (水)

ピーターパン・シンドローム

子供の頃よく見えていた視力2.0のボクの目は、ゆっくりと視力が落ちてきている。周りのものがだんだんとぼやけてきた頃は少し焦っていたが、落ち着いた今は慣れてしまい、メガネもコンタクトもかけずにいまだに裸眼で、ゆるいソフトフォーカスがかかった周りの世界を視ている。

子供の頃と今のボクで世界の見方が変ったと言えば、そこだ。

「大人はいい加減だなー」なんていくつまで言えるのか。ボクはいつも漠然とした"大人像"を頭ん中に置いている。
そいつは右脳の上方に靄のように子供の頃からずっと居座っていて、正体がつかめないのだけれど、どこかでふと僕の主観になりかわる場面がある。最近とくにそう思う。身近で見る大人は大人として見ていないわけじゃないけれど、子供の頃から居座ってきたボクの中のこいつとはやっぱりどうもズレていて、漠然とした違和感を感じつつも自分が世間一般の定義では立派な"大人"なんだと言うことを受け入れることができないボク。

"大人になる"だなんてそんな文言は子供の頃から散々言われてきたことだけど、この頭ん中の存在はどんどん抽象的になっていき、それとは逆に"自分は大人だ"という事実だけがより具体的に感じてきた。「ウソをついちゃいけません」、「人に迷惑をかけちゃいけません」、「約束は守りなさい」、そんなのと同意義だと思っていた大人からの大事な言葉。だけどこの文言だけはいまだに答えを見出せずにいる。

大人になるのは嫌じゃない。でも、子供の時の気持ちを忘れたくない。この財産ともいえる気持ちを忘れたとき、きっとボクの中に居座ってるこいつがはっきりと見えるんだろう。だからボクは、フィルターがかかったこの世界で、ピントを合わせるのをややためらっている。何も通さないで見えるものの大切さを意識しないで見てきた子供時代。
頼むからぼやけていてくれよ、まだまだこの目で見たいものがある。

2007年6月24日 (日)

上を見上げていて下が見えなくなるのは、落ちるのを待っているセミのようだ

みんな見上げてます
演技レッスンでは他人の気持ちになるボクですが・・・、そこには確実に自分のことを客観的に観てる自分がいるわけですよ。長い時間をかけて本番を迎える舞台と違って、その場で考えて演技を作るレッスンではこの"自分の後ろにある目"の存在が特に顕著。どっかでいつもボクの後頭部を見てる、自分。

この境界線を踏み越えた足をどこに置くのかがこれからの課題で、いつでもテンションをハネ上げられる芝居も大好きなんですが、細かい気持ちの描写は小細工できないってのは自分が一番良く分かってるんです。フィルターがなくなったときにはストレートに演技力を露呈してしまいますよ、オレ。すっぴんのおねーさんみたいに。

短所を見せないようにうまくやる芝居をしないで、長所を見せ付けてやる芝居をしようと思う。「すっぴんでも変わらないねー」と彼女に言ってムッとされるオレは失礼なのだろうかと。

セミは今年もすげー鳴くんだろうなぁ。毎年毎年、いつもどおりに。
ただ、僕らが毎年見てるセミは毎年ニューフェイスなんだよなぁ。

2007年6月22日 (金)

"超微糖"缶コーヒーのような細かいようで曖昧な表現

自分が思っているよりも周りは自分に対して無関心だ。
だったら、せめて自分が自身のことに関心を持たなくてどうする。

2007年6月11日 (月)

そういう類の話

はて、一昨日のエサは何じゃったか・・・
とりあえず、手は伸ばしとけ、と。ナニか掴めるかもしれないし、ナニもしないってことは、それこそナニも起こらないことを容認して、可能性ってやつを放棄してるからだと。ま、その可能性はトトBIG買っとけば6億当たるかもしれないんだぞって言う程度のもんで、そんな6億当てるつもりの人が押し寄せてきたとたんシステムダウンしてしまうような危うい土台で成り立ってる世界である。昔の大人は今の自分であるように。
結局、電源を入れないとゲームは進まないし、宝くじも買わなきゃ当たらないという、そういう類の話。

覚悟決めて動く時は自分の身体よりも、まず脳ミソなんだろうなぁ。
言われたことをただ鵜呑みにしてやってたんじゃ進歩は止まってしまうから、自分で納得してからでないと意味が無いという、そういう類の話。

類はトモを呼ぶ、と。

2007年5月22日 (火)

まず、昨日のことから思い出そう

とりあえず、寝るか
なんだか深夜の再放送みたいな海外ドラマ見ながら、日本人の声優の声を聞く。「やっぱ向こうはすげぇわ」。コレはどっちに共感してるのかジブンでもよく分からないと思いながらだらだらとPCの文章の隙間、スペースキーに親指を止めたまま少し思考が停止する。

いつもより早い時間に家に帰ってきて、いつもよりたっぷり時間があるけれど、アレやってコレやってって考えてるうちにどんどん時間が過ぎてくよ。

エンター。

エンター。

2007年5月21日 (月)

loses sight

上は山ほどいる
ボロを出したわけじゃない。けれど、手を抜いていたのは事実。そんなレベルじゃ突っ込まれるのは分かってたんだよ。
キャリアだけ増えていくと無駄に小細工ばっかり覚えて、テクニックだけが身についてきて、結果自分の身体を重くしてる。

「この世に"無駄"なことは何も無い」と言われる、けど。
無駄なことは、ある。
絶対あるんだ。
ただ、それが"無駄"かどうかは死ぬ瞬間まで分からない。

もっと潔く。もっとはみ出して。突き抜ける瞬間てのは意外とそんなところにゴロゴロ転がってる気がする。

いつぐらいから見えなくなってたんだろう。
いつの間にか自分の重さに気づけないくらい鈍っていた。
そこから脱さない限り、いったりきたりの繰り返し。

下を見るのは、まだ早いんじゃないか?

2007年3月29日 (木)

ダレのために

演出家に納得してもらうために芝居してるんじゃないよ。

楽しみにしているお客さんを納得させるためにしてるんだよ。

それで自分が楽しめれば最高。

2007年3月11日 (日)

自己責任でお願いします

世の中には、やっていいことと、悪いこと、
あと、やっちゃいけないけどやったら楽しいことがある。


境界線は自分で引くものであって、世の中の"常識"で片付けてしまうにはあまりに寂しい。
ルールや国境線は国が引いたものだが、その意味は神でも聖人でもなく、そこにいる人々が決めるものだ。

2007年3月10日 (土)

ニュータイプ

先を読むよりも、まず第一に"今"のことを考えろ。
それが先の自分にとって一番ベストな選択になる。

先を読むことは大事。
ただ、先で起こった出来事は、先の自分に任せればいい。

2007年3月 9日 (金)

犬は10歳、猫は7歳

life span
人生の3分の1は夢の中。
僕の場合睡眠時間は平均4時間だから6分の1くらいは寝ていることになる。
たとえばボクの寿命が日本人男性の平均寿命の79歳だとして、このままコンスタントに生きていけば少なくとも13年は寝ているわけですよ。
一人の人間がトイレで過ごす一日合計所要時間を約10分としましょう。あいや、男だから5分くらいかも。ということはですよ、1ヶ月に1825分として年間365時間 (21900分)、つまり1年のうち約15日間はトイレの中ということですよ。

もしもボクが平均寿命が世界最短のジンバブエで生まれた場合、平均寿命36歳のうち6年は布団の中、ていうかもう人生折り返してますよ。平均的に3分の2は生き終わってます。余命12年て。

そんなこと宣告されたら、アナタはどうですか?

ボクは余命12年と余命55年、どちらも変わらずに過ごすことはできません。残り12年のほうが、死に物狂いで密度の濃い人生を過ごそうとするだろうな。普段から生きることに貪欲になれる気がする。なるほど、向こうのヒトは生命力に満ち溢れているわけだと妙に納得できる。

いつ死ぬかではなく、どう生きるか。
時間とは、自分が思っているよりも、はるかに有益だ。

2007年3月 1日 (木)

人生のリセットボタンがあるなら今ここで押させてくれよ的なやるせなさ

ちょくちょく覗いている知り合いのブログで、バッグに入れた7万円が入った封筒を紛失したという内容が。普段から、金銭に関しては他のひとよりも特に大切であろうことが伝わってくるブログだったので、7万円なんて大金を無くした事実は他人のボクにしても他人事には思えないほどの出来事。いや正確には知り合い事だけど。いやいや、そりゃあ衝撃的だよ。財布に入った残り一枚の千円札を読み取ってくれない自販機ぐらい衝撃的だよ。ともかく、個人的には不二家の不祥事よりも、あるある捏造事件よりも、タミフル異常行動疑惑よりも身近でセンセーショナル。
そして、無くした当人は、大金を消失してしまったときの心境をとても興味深く事細かに書き綴ったあと、文章の最後の一文に、

「で、家に帰ったら自分の部屋に7万円入った封筒が。」

ちょっと感動した。

人間とにかく窮地に追い込まれて、何にでもすがりたい瞬間や状況ってあるよね。
だけど何かの偶然や勘違いによって結果的にその危機から抜け出したとき、心底幸せな"生"を感じる。結局はプラスマイナスゼロで、別にお金が増えたわけでもなくて、もとある環境に戻っただけなんだけど。
現状は何にも変化してないのにね。

でも、「あ〜〜助かった〜っ!!!!」って本気で思っちゃう。7万円得した気分にすらなってくるよ。

2007年2月21日 (水)

時速100キロで歩くような速さで

電車に乗っている間、心地いい雑音の中でただひたすら2インチほどの画面を食い入るように見ている人を眺めていると、自分の方の画面が相当小さく感じてくる。そんなとき、ボクの視点はだんだんとぼやけていき、たいてい定まってはいない。
流れる外の風景が背景になっていくように、焦点を合わせようともせずだんだん別なナニカに見えてきて、閉ざされた移動する四角い空間とともに意識を運ぶ40分。

ガコン。
電車を降りて、自転車の鍵を探しながら、たまに飲むブラックコーヒーで気持ちを切り替えて。

吐き出す白い息は近くで見ても、依然としてぼやけて見える。もう一度息を吐き出し、ダウンのチャックを上まで閉めて、空き缶入れを探しながら焦点を合わせる。

2007年2月19日 (月)

To be, or not to be...

やるべきか、やらないべきか・・・。
それが問題・・・、じゃないんだよな、今の状況は。

もっとも大切なのは、やることによる"意味"と方向性を明確にすること。
つまり目的か。

それはモチベーション維持には必要不可欠。
それが問題です。

「To be, or not to be: that is the question.」 (シェイクスピア 『ハムレット』)

2007年2月14日 (水)

溶けたチョコレートが固まるような速さで

heart
時間が経つことにより変わっていく感情は、自分にこそ正直だけど、相手にとっては決していいものではない。そう考えると時は残酷だなぁと思う。つくづく。
だってさ、「どんなに熱いものもやがて冷めていく運命」だとか「熱しやすく冷めやすい」なんて言葉で形容されるんだから。だけどボクの場合、表面上の感情はいくらでも変化していくけど、変わらないモノはもっと根本的な部分で、どんな時もその軸はずれない。
どう考えても「熱しやすく冷めやすい」部類に入るボクが続いているのは、その軸だけは揺らいだことがないからだろうな。なんて、少しさめた見かたで考えてみる。

「いつも一緒にいることがあたりまえ」だとか、「常にそばにいてほしい」とか、そんな言葉は、深い感情の中でのずいぶんと浅いところ。しょせん表面上での、お互いの"信用"という名のカードの出しあいみたいなもんだよね。根本は、もっともっとシンプルな感情でいいんじゃないかと思う。
一言で済んでしまうようで、常に思いつつも実現できなかったところってのはもっと別にあって・・・、まぁできてたらこんな状況にはなってないんだけどね。いままでうまくやってきたこの距離感がお互いにとってベストだったんだろうけども、それは思い込みだとも自覚してる。それに、そうも言ってられないだろうしね。だって時間は動いてんだもん。

後輩を"相方"と呼ぶようになってもう6年。今日は7回目のバレンタイン。

2007年2月11日 (日)

まな板の上で悟る、コイ

number
自分の分野じゃないところで立ち回る、不安定な感情。そう思いだすと、いよいよ溶けかけた洋菓子のように安定感を失う。結局は、つまるところ、無知な自分を隠し通せない怖さなのだ。
さらけ出して無様な姿で転げまわるのが怖くて妥協する。何ができるかを推し量られる前に、自らの重さをひた隠す。そんな状況下では思い描いている、意図を通すのは非常に難しい。無知な分野ゆえ、求められている"意図"が分からないという怖さ、己の弱さを甘受できないまま、淡々と流れる数分間。

まるで、細い針の穴に"糸"を通すようなものでした。

もしも、ボクの"意図"が見事に通ったとしたら、その細い針をもってして、どこに通すのかまた悩むのだろう。

2007年2月 2日 (金)

ブレイクスルー

wall
「やる」と言ってしまえばぐに始められる状況。でも、その一言がやたら重い。
目標までの達成度が見えていれば少しは楽に感じるんだろうか。

いや、例えわかったところでどうか。

達成値を時間で割っても生産性が出ないこの世界で、自分の足元が確立していないという状況は、自分自身をひどく不安にさせる。そういうたぐいのものが見えない世界だからこそ足跡はしっかりと残していこう。驚くべきバランス感覚で。
地に足つけてても、足を上げなきゃ目の前の壁は越せないし、踏み込まなきゃ足跡は残らない。踏ん張って、踏みしめて、壊した壁を歩いていこう。

今年も残すところあと11ヶ月。

2006年12月26日 (火)

ヒツジの数

日付が変わってから帰宅して、家に残ったケーキを口に入れながら漠然と朝になるまでの時間をどう過ごすか考える。風呂に入って寝る準備をしてると既に深夜2時。
これからが、1日の中での唯一自分だけの時間だ。オレタイム。やろうとしていたことや、TODOリストに並べられてあることは沢山あるが、朝までの時間を自分の中で搾取しあって、残りを睡眠時間にあてるわけだ。

がりがりと鳴り響く深夜番組の音を聞きながら、目の前のディスプレイに向かって頭を動かす。聞く、見る、考えるをすべて別のベクトルでこなしているとどうにも能動的になれず、「部屋が暖まっていない」とエアコンのせいにしては雑感だけが部屋を漂う。

リアルなのはマウスを握るかじかんだ指の感覚。

2006年12月12日 (火)

トローチを噛みしめる

寒くなってくると、空を見ながら日当たりのいい場所を探す。雨が降ってきたら陰に隠れる。
自分の身を置く場所は、環境によって変わってくる。

重要なのはその"場所"ではなく、周りの状況や雰囲気、そこにかかわっている"ヒト"達が最終的に自分の身を置く場所を決めているんだと思う。そう考えるとボクがずっと身をおいている場所は、実は常に少しずつ変化していて、それは自分の考え方の変化でもある。
口の中で形を変えていくアメのように、本質は変わらなくても少しずつ少しずつ変化していくんだなぁ。アメのように甘くはないけれど。

最近しゃべりっぱなしだよね、のどが痛いよ。

2006年11月22日 (水)

好奇心って

下にまだ新しい皮膚ができていないのに、かさぶたを引っぺがすような感じですよ。

責任は自分で取りますよって事。

2006年11月19日 (日)

突き抜けるような勢いで

自分の目指している夢だったり、目標となるものがずっとずっと先にあるとしたら、今ボクが歩いている道は鎖のようにつながれている夢へとつながる道だ。奴隷のようにただただ、歩く。

先ばかり見ていると途方もないけれど、前を向きながら、今いる場所を踏みしめてしっかり歩いているはず。目の前にあるものは、確実に目標となるものへとつながっているはず。たとえそれがどんなものでも、今を受け入れて先につないでいくんだ。

冷たい雨に冬を感じる。
ボクは来年もこうやって季節を感じられるだろうか。

いろんなことをぶっ飛ばして考えたい。
気持ちよく、頭のてっぺんから足の先まで突き抜けるような勢いで。

2006年11月 6日 (月)

ファーストペンギン

氷河の世界に生きるペンギンは、餌をとるために極寒の海に飛び込んでいくが、最初の1匹が飛び込まない限り他のペンギンたちは決して飛び込もうとはしない。天敵であるシャチが待ち構えているかもしれないからだ。したがって他のペンギンたちは最初に飛び込んだペンギンを"確認"してから次々に飛び込んでいく。そう、飛び込んだ先に餌があるのか敵がいるのかは、"実際に飛び込んでみないと分からない"のである。

月間検索数が異常なくらい高すぎるワード、「PS3」。その値段もビックリするくらい高い。
地雷を踏まないように恐る恐る歩きながらその状況を見守っているのか、ただの冷やかしか、その関心度とは裏腹に手を出さない多数派はペンギンに酷似している。

夜の男と女。白か黒かではない"グレーゾーン"で認識しあう仲はいつまで続けるのか。自問しながら、ただモンモンと考えているうちに自分が多数派になっていることに気づき、納得する理由を見つけて少し安心する。最初の1匹を見送るペンギンのように。

気持ちが固まらないまま誘いにのるかを迫られる時は、大抵の場合、自らの選択よりも周りの空気に結果をゆだねられる。後悔しないように過去の自分と照らし合わせながらアイデンティティを保ってるボクは"ファーストペンギン"にもなれない。その一歩を踏み出せないトラウマ。

みすみす殺されに行くような覚悟ある「ファーストペンギン」は、欧米では"先駆者"などと賞賛される言葉として用いられている。先に飛び込むペンギンの、なんと勇気のいることぞ。
種族の本能で飛び込んでる動物と一緒なのか。きっと何も考えてないんだよソイツは。だけど、たまには何も考えないで本能で飛び越えてみたいよその一歩を。気持ちよく。ポーンと。

2006年9月27日 (水)

アクセスポイント

トローチを口の中に放り込んで、舐めきるまでに思いをめぐらすたくさんのことがらのうち、大部分はトローチとともに消えてしまう。継続して考えることは半分も残っていない。

人ごみの中で視線を徘徊させながら、ボケッとしている顔に似合わず、ずいぶん鋭いことを考えていて、舌に残る甘味が自分の空間を形成する。iPodのボリュームを少し上げる。トランス。回答の有無は関係なく、もがいているだけ。大部分の大切なことを自分の中においてきて、いつか引っ張り出せるように頭の奥の引き出しにしまいこむ。右脳のずっと奥の隅、右目の斜め後ろらへん。

これを書いている時には、トローチは口の中にない。

2006年8月28日 (月)

ぎったんばったん

仲良く並列で、同時進行している事柄が多すぎて、ミョウな擬音を立てながら自分の考えとは別のベクトルで物事が進んでいく。
今までと違うのは全てが"責任"として僕自身に降りかかってくるということ。だけど客観的に見てみると、僕のやっていることに対しての"降りかかる物"はかなり曖昧で漠然としている。砂漠の中で水遊びがしたいわけじゃない、でも海での砂遊びはしたい。

言葉を選んでいる僕を客観的に観察している自分がいて、頭の中で並列に、何人もの小人がせわしなく動き回る。デュアルコアで出した答えは自分の動きを極力狭めないワードが優先される。
最近、どこに行っても謝ってばかりだなぁ。

2006年8月 7日 (月)

どこまで行っても僕

僕はコツコツと、小さい目標を立ててそこに向かうようにする。そうすれば見失うことはないから。
でも僕は、小さい目標にとらわれるあまり、それをこなしている僕を客観的に見れなくなってしまう。

これは避けたい。そう思っていても、僕は自分をそう思いながらただ見るだけ。
だからどんどんたまっていく小さな目標を、必死にこなすことだけで、山積みの書類のように重なっている目標を並べ替えることは僕にはできない。

僕が誰かに見られているカタチは自分で作った僕の目標にどれだけ近いんだろう。僕は自分で考える。誰かに見られる自分のために。

2006年7月19日 (水)

そう簡単にゴメンと言えるもんじゃない

モチベーションがじわりじわりと上がってます。いい感じに。現在進行しているものがどれもうまい具合に進んできている。
ただし、こういうときこそ調子にのるなと引き締める。ここで気をつけないと僕は調子に乗っていつも大切なものをおざなりにしてしまう。いつもそうだ。僕はいいかげんに物事は考えないが、その場だけの間に合わせで物事をこなすことは、良くある。あまり褒められたことではないが、このスタイルを露呈してしまうといつも後手後手になってしまう。いつもそうだ。
適当に、それ相応な先手を打たねば。先の目標を見る前にまずは足元を照らす作業を。飛び出しそうな意識をぐっとこらえて、あれこれ考えないでやった後に残ったものを考える。

自分のペースを作りながら他の人を巻き込む。ゴメンといいながら先を見ている時が、もっとも調子がいいのだろう。

2006年6月24日 (土)

ウーロンハイ

演技とは技を演じること。
尊敬している先輩が言ったこの言葉。その先輩は先生からの受け売りだと付け足すが、自分の考えをまとめて理由付けられるこの1撃に僕は激しくうなずき同意した。

僕は昔、直感や雰囲気だけの芝居であった。悪い意味でその場に溶け込みながら、流れのままに自然に演じていた。あくまで悪い意味で、だ。
違う人にあてられたこの言葉はそんな自分には痛いほど共感できるものだった。だからどんな言葉よりもスッと自分に入ってきたんだろう。この響きや感覚が、なんだかとても好きなんだ。

2006年6月22日 (木)

真夜中の回遊魚

AM01:50、自転車で帰宅途中曲がり角で2人の警察官とすれ違う。暗くてわからなかったのでぶつかりそうになった。君らは忍者か。すれ違いざまに「ライト点けて」と聞こえたがこの自転車はうまく明かりが点かないのでその要求は棄却させてもらいペダルを踏み込む足に力を入れる。
信号待ちをしていると新聞配達のバイクがやってくる。新聞配達は早い早いと思っていたが、まるで深夜営業のバイトじゃないか、これは僕にもできそうだなと思った。
そんなことを考えながら国道を横切ろうとすると、1台のバイクがものすごいスピードで赤信号に突っ込んでくる。近くで僕に気づいて急ブレーキ。完全に無視する気だったな。もう少しでひき殺されていたよ。
ちょっとどきどきしながらもまったく音のない深夜の家路。人がいなくて静かなこの時間は、レアな生き物がいっぱい生息している。まるで深い深い海の底。みなそれぞれの時間で動いていて、何かのタイミングが重なってたまたまこの深海で出会うんだ。

帰ってきてから寝るまでの時間、いろいろと書きたいことはあるのだが思いついてもキーボードを打つ気力がない。あったとしても、PCを立ち上げてブラウザを起動させるまでの時間が待てない。何より考えがまとまらない。・・・て書きながら、僕はPCを起動してキーボードをたたいてる。なんだ、まだまだ余裕あるじゃんオレ。
家の外からは新聞配達のバイクの音が。さっき出会ったサンマかイワシかマグロかサケ。深夜か早朝かよくわからないこの時間に、ホントご苦労様です。
今日はベッドで寝ようと思う。

2006年6月20日 (火)

CPUがカタカタと

1人。
寂しさを紛らわそうとする人は本当に寂しいのか。
1人でいるときは認識できる寂しさを考えながら噛み締める。
みんなでいるときのほうがずっと寂しい。
独り。

紛らわされた寂しさは、首をもたげて膨らんでいく。
何も考えてないのに、常にカリカリ動いてる。
メモリの無駄使い。
なんか読み込んでるんだよな、常に。

2006年6月18日 (日)

一山超えて

打ち上げ。
またひとつの終わりをむかえてみて、自分の残した足跡をお互いに確認しながら次の道をなんとなく模索する。
その繰り返し。
治りかけのかさぶたが痒い。

2006年5月26日 (金)

ひらがなで言いたい

器用なんかじゃない。
不器用なところを見せないのが、人よりちょっとうまいだけです。

アリガトウ。

半角のカタカナで伝わってる気持ち。

2006年5月22日 (月)

ゴムがきれたカップル

薄く薄く、伸びていく。

互いで伸びきっては縮んでを繰り返していくカップル。同じところに留まらないで浮き沈むさまはまるで、弾力性のあるゴムのようだ。
伸びきって、ふとしたきっかけで切れてしまう。復縁てものがあるのなら、そのゴムは切れずに伸びたままなのだろう。

薄く薄く、何も感じない空気のように。0.03ミリくらいで保っている互いの距離は交わることなく、切れるか縮むかを待つだけ。その繰り返し。何も生まれない。
だけど常に動いている。ナマで。

ドキドキしたりゾクゾクしたり、いわゆる恋人感覚の付き合いは求めても感じ得ないもので。ゴムがないと感じない、矛盾したココロ。

ゴムで繋いでる感情は薄く薄く、伸びていく。
切れたらそこから始まるんだな。強く強く、伸びていく気持ち。

2006年5月15日 (月)

AM03:30

日付が変わって、気付けばもう今月も半ば。ああ早い。そう思うと時間はあっという間に過ぎていく。
充実しているのか無駄使いしているのか、どこまで行ってもとことん時計の針とのにらめっこ。詰まるところ、あれか。時間との勝負なんだろ。限られた時間でどこまでやれるかを評価されてくんだ僕らは。

やることが見つからない恐怖よりも、見つけたことをやれないことに空回り。缶を蹴っても跳ね返ってくる。オチはつくけど不本意だ。

ぐるぐるぐるぐる頭の中で回ってる、鳴り止まないメロディ。しっかり覚えようとしないから、中途半端に覚えてる。中途半端に口ずさむ、「やらない勇気が欲しい」。そう考えるのはいつもこの時間、夜と朝のスキマ。寝るまで一人の時間。まるで自分で操っているかのように、だんだんと埋まってく感じがたまらなく好きだ。


目が覚めるまで止まったままの、このスキマを埋めてこう。
充電器に置いた残り電池1本の携帯電話。
AM03:30、充電中。

2006年4月23日 (日)

そう言われました

想像させようとする演技じゃなくて、想像してもらう演技をしよう。

それがベストじゃないときもあるけどね。

2006年4月21日 (金)

[Ctrl+]

覚えてくのはショートカットばかり。
それって、マネがうまいってことじゃない?

[Ctrl]キーが違う場所にあるだけで、相当焦ると思う。

2006年4月18日 (火)

Can it move?

ぐっと息を吸い込んで、両足に力をためて踏み込んでから、思いきりよくジャンプするんだ。

そう思っていることが大切なんじゃなくて、やってみることが大切なんだ。

キーボードをたたきながら、エンターキーを押す指のように。
僕の場合薬指と、ときどき子指で、タタンと確定してくんだ。

結果はついてくるんじゃなくて、持ってくる。
待ってるんじゃなくて、僕が動いて行ってみよう。

表面じゃ動いてるつもりでも、例えそう見えてるだけでも、今まで届かなかったキーまで動くから。
やってなかったことができるから。
僕の薬指はほら、大活躍してるじゃないか。

2005年9月26日 (月)

寒がりな蝉

何だかなぁ。

急に寒くなってきました。

ああ寒い。

この前まで暑かったのなんて、もう忘れたよ。

その時の気持ちなんか、こうやって時間が経つと、季節が変わる度に忘れて行くんだろうなぁ。

自分はそうならないようにしてたのに、しっかりと寒がってます。

まだ、蝉も鳴いてるのにね。

当分、蝉の気持ちにはなれません。

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