死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである

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マグロが止まることは”=死”を意味します。呼吸するために一生泳ぎ続けます。
劇団ZAPPAの稽古は大変なんです。
朝からの営業のバイト終わらせてから30分くらいかけて船堀の稽古場にいくんですよ。稽古場がある”船堀駅”ってのは新宿から都営新宿線 (京王線からつながってるやつ)で30分くらい乗っていると着く本八幡のちょっと手前という場所でして、お客さんはどんどん降りていくので、たいていいつかは座れます。今日は「ワンピース」とかの単行本の発売日だから行きに買っておいて、帰りの2時間の電車内で読んだりするんですよ。
22時頃に稽古が終わって帰ると、いつも終電くらいになるし早くても終電1、2本前にしか乗れないという制限時間付きの毎日。マリオか! 船堀駅を23:09発の新宿行きに乗らないとアウトです。大変です。
でも、稽古が楽しすぎてテンション上がってるとそんなことどうでも良くなっちゃうから困る。いろんな意味で他のことがおいてけぼりになってないか注意しなくては、と自分に言い聞かせてみます。楽しんでいるだけでいいのか、と。ただ、最近はほんとに充実していて、稽古が無いときよりも活き活きしてると感じます。
今回、劇団ZAPPAへの3回目の参加ということもあってか、いつも以上にいいキャストに囲まれてやや調子に乗っている気がしてならない。そこだけ、「自重せねば」なんて終電に一人揺られているとそんなことを考えてしまう小心者な僕。地元の駅に着くまでに結論は、出ない。
別に心肺機能は関係ないが、人間である以上”成長が止まる”ということは “=死ぬ”ことと同意義。それだったら、せいぜい楽しみながら僕は死にたいものだ。
劇団ZAPPAの稽古は大変だ。
いい意味で大変な毎日。少しづつ変わっていく毎日の中で、僕が止まるまで考え続けていたいのは、「昨日よりもいい今日を」。小変よりは大変のほうがずっといい。

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